PLAIN VANILLA

 簡単だ。終映間近、それもレイトショーを何人かと一緒に観ているとでも思えばいい。それが俺みたいな人間にとっては賢い、最善の選択だから。下手に声をあげるよりかはずっと良いし、頬杖をついてその話を聞いているだけの、どちらかと言えば反対派に見えるようなポーズは取っておくべきだった。
「今年はこのクラスも、学祭で出店したいと思っています」
 ホワイトボードに書かれた大学祭の出店について、の文字はそれだけで過半数のやる気を削いだ。三年目になる大学祭。一度も団結したことのないクラス。何かを出店する案が出ただけでも驚くくらいなのに、その少数派は熱心に演説をしている。名前くらいは分かるし、演習発表で同じグループになった奴もその中には見えた。そもそも、クラス内のことだから遠からずな出来事であるのに、相変わらずこのクラスの大半はまるで自分は部外者であるかのような顔をしている。部外者であるならどう動こうが関係ないと思うのか、と言えばそうではない。自らに影響を及ぼそうとしているのなら、その事柄一切を排除する、そんな姿勢さえ窺えた。
「知ってると思うけど、模擬店はクラス全員の賛成がないと出店できないから」
 宮木の声はいつだって良く通る。男子の平均身長並みに背は高く、短めに整えられた髪は黒い。バイト先が厳しく染められないと話していたから本人に染めたいという気持ちはあるのだろうが、そういうぱっと見できちんとしている様子といわゆるさっぱりした性格とがあいまって、女子からも男子からも、あとは先生からも嫌われることはほとんどない。 
「はいプリント。これ、宮木の字だよな」
「相変わらずの達筆」
「青野はどうする? って言ってもお前が一番こういうのに興味ないだろうけど」
 模擬店を出すか出さないかについてのアンケートを一週間後にとるらしく、詳細の載ったプリントが俺の座る後ろから三列目の窓際まで配られる頃には、宮木がその内容を口頭で大体説明してしまっていた。両面びっしり書かれてある用紙は裏紙にすることも出来ない。友人三人の会話を聞きながら問いかけには曖昧に笑うだけにしておいて、宮木の文字を一通り眺めた後、自分の分は取らずに後ろの席に回す。その一連の動作が見えていたのかもしれない。
「クラスのことだから。他人事だって思ってほしくない」
 そう付け加えられた言葉が終わると同時に、宮木のあの黒目がこちらを向いた気がした。
 
 
 昼休みに入る少し前に説明は終わった。午後からの授業は取っていないし、夕方からのバイトまで図書館で時間を潰そうと、外へ出る。ちょうど課題が出たところで、人のあまり居ないこの時間に調べるべきものは調べておくのも悪くはないと思った。
 教室から図書館へ行く最短ルートに向かうと宮木の姿が見えた。プリントの件が自分の中で引っかかっていたこともあって、慌てて足を止めるがたぶん、遅い。左右の道から同じ階段に行こうとしていたようで宮木ももちろん俺を捉えていた。見なかったことには出来ない。ばっちり、あのくっきり二重の眼に睨まれただろう。案の定、立ち止まったままの俺の名前を呼ぶ宮木は距離を縮めてくる。
「青野くん」
 呼ばれたのにほとんど何も反応しなかったからなのか、宮木はもう一度俺を呼んだ。
「悪いけど俺はバイトあるし、サークルもあるから無理だよ」
 頭か体のどこかで察知したのかもしれない。何かを言われる前に理由をつけて逃げようとした。けれど顔の横で振った手が、手首を掴まれたことによって静止させられる。まだ何も言ってないのに、と宮木は息をついた。
「でも。サークル、外でやってるやつでしょ」
「そうだよ」
「平日は練習ないって聞いた」
「そうだね」
「当日だけでもいいから、手伝ってくれない?」
 宮木は二年生の後期、だんだんとレベルの上がってきた演習授業でかなりお世話になった。その休憩の合間にした世間話のおかげでこうした情報が漏れているわけだけど、宮木には出来る限り協力したいと思う気持ちも心の底にはあって。だからこの頼みを無下には出来ない、が受けてやることも出来るとは言い難い。
 しばらく俺の手を掴んだままだった宮木の手を外して、階段に足をかけた。狭い階段を二人並んで上がる。会話が途切れ途切れになりながら、降りてくる人が居ればそれを避けた。
「俺が手伝うって言ったところで、全員の署名なんて集まるわけないよ」
「青野くん付近の男子が、一番手強そうだから」
「俺は、俺が手伝うと決めても他を誘う予定はないけど」
「うん。そう簡単にいくとは思ってない」
 宮木は鋭い。よく見ている、と思う。聞えよがしに文句を言い連ねるような奴らはまだ、希望がある。説得次第では協力してくれるかもしれないが、そんな希望も持てないのがそのこと自体に興味を示さず、他人事のように考えている俺みたいな人間だ。
 
「ね、青野くんは楽しい?」
 上がりきって、図書館を目の前にしながらもまだ宮木は俺を解放しなかった。
「何が?」
「全部。授業とかバイトとか友達との遊びとか、そういう毎日のサイクル」
 なんとなく言いたいだろうことは分かる。
 説明の時にも宮木は言っていた。何か、模擬店を出店するだとかそういうことを今年しないと、このクラスはこのままだと。このままの状態で何がいけないのかと俺は思うけれど、もし出店をすればクラスの中で変わることがあるかもしれない。それも、プラスのほうに動くかもしれない。その可能性のことを言っているのだろう。
「わたしはもっと、楽しくありたい」
 あまりにも直線的な言葉に、頭に痛みが走る。じゃあね、と手を振る宮木はあっという間に図書館の自動扉の中へと消えていき、それに応える余裕もないまま立ちつくすしかなかった。
 理想の塊みたいなものを目の当たりにしていると、何も動こうとしない自分が情けなくなる。それでも、情けない自分が居たとしても、宮木のようになることは出来ない。いろんな可能性があることを分かっていたとしても、俺はそんな危険な賭けはしない。
 
 
 結局、宮木たちの説得も空しく全員が模擬店出店を良しとはしなかったために、今年の大学祭も例年通り、何もしないことになった。それが決定してからしばらくは目に見えるくらいのわだかまりがあったはずなのに、ある一定の期間を過ぎるとあれだけ面倒だとぼやいていた多数の人間が、そのこと自体を忘れたかのように笑っていた。そして宮木たちもそれにつられて、笑っていた。それが彼らの、彼らなりの賢い選択だろう。何でもない風に笑って、その笑みの奥に苦味を隠しているのだとしても。そうしなければ、生きていけない。
 きっとこのまま、わだかまりが出来てしまったことも、その原因である模擬店の案が出たことだって忘れられていく。ああいう人間を描くドラマなんかでは、熱血な教師の頑張りとクラスメイトの改心、そんな感じで望まれた形のハッピーエンドを迎えるのだろうけど。そんな現実離れした奇跡は起きずに、何事もなかったかのように、生じた亀裂は埋められていく。埋められて、それがどれだけの修正力を持っていたとしても、どこかに必ず痕は残ってしまう。その傷痕を見て、思い出すのは宮木たちだけで。だから。一度ぶつかってしまったものはどうやったって綺麗に修正出来ることはないのだから。ぶつからないように生きるしかないだろう。
 人なんてそんなものだ。
 そもそも大きな流れに逆らうなんてこと自体がうまく世の中を渡っていく上では良くない選択で、そんなのは自殺しに行くようなものとしか思えない。それが分かっているから、選択をする。自らが安全に生きていけるような選択肢を見つけて、安心な人生を送る。
 
「青野くんは、楽しい?」
 宮木のあの声で、その言葉は何度だって再生される。すれ違う時に俺を見る、目。全て見透かされているような気がして。
 最後まで答えなかった質問に、型にはまるなんて楽しいわけがない、と今更ながらに回答を心の中でする。そうやって、分かっているのに何もしようとしない臆病者に一番面白みがないことなんて、ずっと前から知っていた。  
 
 
企画「Blacken Vermins」/花原花緒

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