恋わずらい 5

 『ハウルの城』は一度、ガラクタにまで崩壊した。
 その後、ハウルとカルシファーで力を合わせ新たに作り直したのが、現在彼らの住む『空とぶ城』だ。




 その城のてっぺんに、片膝を立てて座る人影があった。
 艶(つや)やかな黒髪を風が弄るに任せ、遥か彼方を見渡す青年は、云わずと知れた『空とぶ城』の主人であるハウルだ。
 城は、ゆっくりとした速度で荒れた大地を東に進んでいる。
 最近の『ハウルの城』は、もっぱらインガリー国内の寂れた土地――つまり、あまり人の目につかない場所を選んで周回していた。


 ハウルはしばらく眼前に広がる壮大な風景を見るともなく眺めていたが、じきに厭(あ)きたのか彼のすぐ横に位置する煙突の一つをカツンと軽く叩き、低く呟いた。


 「いつまで待たせるんだい? カルシファー」


 小さな声だったが、煙突の先にいる火の悪魔には届いたようだった。さして間をおかずに、煙突を通ってカルシファーがひらりと現れた。


 「遅いよ」
 「オイラは誰かさんと違って忙しいんだい」
 「呼び出したのはそっちだろ?」


 密会……というと少々響きが怪しいが、彼ら二人だけで話がしたい時は深夜、皆が寝静まった後にするか、もしくは彼らしか来る事のできない城のてっぺんで話し合うことにしていた。


 「……呼び出さなきゃならなかったオイラの気持ちも考えろよ」
 「説教ならお断りだよ」


 取り付く島もない相手の態度に、カルシファーの炎がゆらりと揺れる。


 「――いったいソフィーにどんな呪(まじな)いをかけたのさ?」


 余裕がないのはお互い様である。
 カルシファーは単刀直入に切り出した。半分は嫌味だが、……後の半分は結構本気なあたり自分でも救えないなと思う。
 ……さらに、返ってきた答えはますますカルシファーを救えない気分にさせた。


 「女の子なんて簡単だね。……『君は可愛くない』、『君は綺麗じゃない』、……『君は愛されていない』。最強の呪文さ」
 「……サイテー」
 「なんとでも。……最初から、こうすればよかったんだ」
 「どこがいいんだよ! ソフィーの顔色ちゃんと見てるか?」
 「でも、もうどこにも行かないだろ?」


 カルシファーの声に切実さが篭(こも)った。ハウルの正面に周り、目を見て訴える。


 「失うぞ。……いいのかよ。このままじゃ、彼女を失っちまうぞ」


 「失う? 違うよ、カルシファー。僕は失わないために彼女に呪いをかけつづけるのさ」


 そう云い切ると、話は終わりとばかりにハウルは立ち上がり、ひらりと中空に身を躍らせる。


 「ハウル…!」


 非難めいた呼び声は、きれいさっぱり無視された。
 それを成すすべも無く見送ることしかできなかったカルシファーは、ひしひしと押し寄せてきた無力感に苛まれた。


 「ハウル。オマエ、云ってることとやってることが滅茶苦茶だ。オイラには、今のオマエは……まるでこの城から彼女を追い出そうとしているように見えるね」




 火の悪魔の嘆息は、風に巻かれてあっけなく掻き消された。






*






 いつからだろう……。


 ―――疲れきって泥のように眠る夢の中に、『彼』が現れるようになったのは。






 <コワイ>
 <コワイよ>


 薄暗い場所で、蹲って膝を抱え、震えている。
 少年の姿をしたハウル。
 年は、そう……ちょうど、あの星降る夜に出会った時くらいの年頃だった。


 「なにが怖いの? 怖いことなんか、なにもないわ」


 ただひたすら首を振り、怖い怖いと怯えるハウルはその幼さも手伝って、ひどく儚げに見える。
 恐れのあまり、そのまま消えてしまいそうに、頼りなさげだ。


 ソフィーはそれ以上怯えさせることのないように、そっと真綿で包むかのごとき慎重さで彼を抱きしめる。


 「大丈夫。大丈夫よ。私がここにいるわ」


 夢の中だから。
 少年のハウルにだから。


 その言葉は自然とソフィーの口から零れ出た。


 「私が傍にいるわ。怖いのなら、いつでも、……いつまでも傍にいるわ。だから」


 少しだけ腕に力を込めて、彼女は言葉に祈りをのせて、囁いた。


 「安心してお眠りなさい」


 ――たとえ、自分の願望が見せる夢だとしても。
 腕の中の確かなぬくもりは、彼女につかの間の安寧をもたらし、少年の身体を抱きしめたソフィーもまた柔らかな気持ちで眠りにつくのだった。






*






 「重そうだねぇ、ハウル」


   小さな庭に面したテラス脇を通りかかったハウルは、のんびりとした声にその足を止める。
 安楽椅子に揺られ、眠っているかに見えた老婆の口元が嘲るような形に緩んでいた。幾重にも皺が刻まれた瞼は閉じられたままである。


 「……なにがでしょう、マダム?」
 「あんたの胸の真ん中で息づいているモノさね」
 「……」


 ゆらりゆらり、一定のリズムで揺れる安楽椅子の動きに従い、彼女の膝を覆うひざ掛けの裾も揺れる。手作りのキルケット。もちろん誰の手によるものなのかは明白である。暖かい色合いのそれは、柔らかな優しさで老婆の膝を温める。


 「手におえないようなら、いつでも受け入れてあげるよ?」
 「それはご親切に。ですがマダム、……欲深な魔女は古今東西嫌われるものです。どうか心安らかに」
 「ふふふふ。女は幾つになっても欲深なものさ。さてね。あんたの心臓はともかく、……あの子の『心』を壊すつもりなら、その前にあたしが頂くよ」


 ハウルの目にあからさまな険がよぎる。


 「マダム」
 「女の心臓など本来食指は動かないんだけど、あの子のなら、それは綺麗だろうからねぇ」
 「――彼女に手を出したら、いくらあなたでも許しませんよ。たとえ髪の毛一筋だって、彼女のものを誰か他の人間に分け与える気はありませんから」
 「おぉ、おっかないねぇ。年よりは労わるものだよ」
 「……それならば、いつまでもただの可愛いお年寄りでいてください」




 釘を刺して立ち去った年若い魔法使いに、かつて『荒地の魔女』と呼ばれ恐れられた老婆は以前の彼女からは想像もつかない優しい顔で苦笑する。


 「やれやれ、本人にそう啖呵を切れれば万事解決だと思うんだけどねぇ」


 ゆらりゆらり、揺れる安楽椅子が眠気を誘う。


 「女は幾つになっても欲深だけど、男は幾つになっても愚かだねぇ」


 眠りが訪れる前に、考えなくてはならないだろう。


 「さて、どうするかねぇ。最初は面白かったけど、……最近は居心地が悪くて仕方がありゃしない」




 ようやく荒地の魔女も、城の環境改善に重い腰を持ち上げるのだった。






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