Panic Storm 2





 ソフィーが呪いに掛かって四日目。
 今日も部屋に篭り、ハウルはぼんやりと手元の水晶球を眺めていた。
 原因のわからない呪いは相変わらず解けることなく、ソフィーは少年の姿のままだ。
 いったい誰が、どんな理由で、いつ、こんなふざけた呪いを彼女に掛けたのか、その欠片すら掴めていなかった。
 わかっていることと云えば、それがハウルすら凌ぐほどの力の強い魔法使いの仕業であるということだけだ。


 水晶球の中には、きびきびと身軽に働く少年の姿がずっと映し出されている。


 ……今のところ、命の心配はないようだが原因の判明しない呪いであることには変わりないので、当然その身を案じているハウルは、こうして日がな一日彼女……もとい、彼の姿を眺めては重苦しい溜め息なぞを撒き散らしているのである。
 (……ずっとこのままだったらどうしよう)
 花屋の店先で、彼の苦悩も知らぬげに、明るくご婦人相手に接客するソフィーが恨めしい。
 (あ……そんなにくっつくな! ……腕! 胸、触ってる! ああもう! なんでソフィーは気づかないかなっ)


 あからさまなモーションにもにこにこ笑顔を崩さないソフィー。
 ……そもそも彼女にとっては同性なのだから、抱きつかれたところで抵抗はないのだろう。
 しかし、ハウルは違う。
 同性だろうが異性だろうが『そういう目的』で彼女に近づく奴らはみんな蹴散らしてやりたいのだ。――ソフィーに関する限り、ハウルの忍耐は針穴より小さくなる。


 我慢に我慢を重ねてきた彼だったが、四日目にしてとうとう限界に達した。
 過去のトラウマに引きずられて手をこまねいていた魔法使いは、すっくと立ち上がると、勢いよく部屋を飛び出したのだった。




*




 一方、花屋の店内では、今日も忙しく次々訪れる客を相手にソフィーが立ち回っていた。
 フリージア、ネメシア、水仙、スノーボール、スイートピーなど、春の花々に囲まれて接客する彼女は活き活きと瑞々しく彼女自体が一輪の花のようだった。


 「お部屋に飾るお花を頂けないかしら?」
 「お友達に花束をプレゼントしたいのだけど…」
 「お見舞いにはどんなお花がいいと思う?」


 様々な要望に微笑みを絶やさず応え、マルクルに手伝ってもらいながら丁寧に一つ一つラッピングしてゆく。


 「お待たせしました。ありがとうございます」
 「……わたくし、もう一つ欲しい花がありますの」


 鉢植えを手渡されたお嬢様然とした女性が、ソフィーへ妖艶な眼差しを向け、白いレースの手袋に包まれた指を伸ばし星色の髪に触れた。
 「珍しい銀の花なんです」
 「銀の……花、ですか?」
 銀色の花とはどのような花なのだろう、と思い当たるもののないソフィーは困惑した。
 お客様の要望にはできるだけ応えたいと思うが、ハウルの花畑にはそのような色合いの花は存在しなかった。
 「……どこか遠くの国の花でしょうか?」
 「いいえ。この国の、……そしてこの店に咲く花ですわ」
 女性の手が自分の髪を撫ぜるのにも気づかずに、「え? この店ですか?」などと驚きを露にするソフィー。
 それを、少し離れたところでヒヤヒヤと見守るマルクルは、(どうかハウルさんに見つかりませんように)と天に祈った。


 ――が、その祈りはあっけなくも次の瞬間、店内を見舞った突風により見事に打ち砕かれる。


 びゅおぅっと店内を吹き抜けた風と共に、一人の長身の男が忽然と現れた。
 その突飛な出現にも度肝を抜かれたが、さらに店内の女性客をあっけに取らせたのはその男の類い稀なる美貌だった。
 風によって散った花びらが舞う中、男は優雅な足取りでソフィーへ近づくと星色の髪に触れていた女性の指をやんわり外させる。
 「失礼、お嬢さん。……残念ながら、この人は僕のものですから気安く触れないでいただきたい」


 瞬間、店内に落ちた沈黙は、――まさに恐慌の沈黙だった。


 「あな、あな、あなた、男でしょう?」
 「僕が何者でも、彼女……彼が、一生このままでも、僕の愛する人はソフィーだけだ」


 ソフィーはその告白に震える手で自らの口元を覆った。


 (ハウル……)


 ――本当は、ずっと不安だったのだ。
 ハウルは明らかに落胆していたし、……ソフィーが男になってからは一度も触れようとしなかったから、もしかしたら嫌われてしまったのかもしれないと。
 それに。


 (さすがに男同士で夫婦なんて無理だもの)


 だけど、くよくよしても仕方がないと明るく振舞っていた。90歳のおばあさんになってしまった時だって大丈夫だったのだから、こんなことで挫けてなんかいられないと自分を奮い立たせて。


 「ソフィー」


 名を呼ぶハウルに顔を上げると、彼は情けなさそうにくしゃりと美麗な顔をゆがめた。


 「ごめんね。頼りにならなくて」


 ただ、首を横に振った。頼りなくても、情けなくても、ハウルが好きだ。……男になっても好きだと云ってくれた彼が大好きだ。


 ハウルの手が伸び、口元に当てられていたソフィーの手を握り、そのままそっと彼の胸の中に抱きしめられた。
 そして、自然な仕草で顎を持ち上げる指の力に従って上向くとゆっくり近づいてきた形のよい唇がソフィーのそれに被さる。


 一秒、二秒、――今度は慟哭を内包する(もちろん女性客の)沈黙が店内に落ちた。


 ………………だがしかし。


 次の瞬間、ホンモノの慟哭が店内に響き渡るのは誰一人として予想しえなかった事態だっただろう。


 「なななななな、なんで、ソフィーっ! 呪いが解けないのさ!!!!」


 絶世の美男が、床に引っくり返って絶叫した。


「ソフィーは僕を愛していないんだ!」




 そして。
 急激に店内は薄暗くなり、イヤな気配が充満しだした。


 どんよりどんよりどよどよどよ……。


 「――っ!!」
 「うわぁああああああっ! お師匠様!!」




 ―――『緑のねばねば』発動最速記録更新。




*




 緑のゼリー状物体を垂れ流しながらソフィーに支えられて浴室に引きずられていくハウルを横目で見やり、カルシファーはやれやれと深く息を天へ吐き出す。暖炉の煙突を伝ってそれは城の外に黒い煙をたなびかせた。……あの状態じゃ、さぞ大量の湯が必要だろう。
 ハウルとソフィーの後からついてきたマルクルも、さすがにげんなりした顔をしている。
 「……どうしよう。呪いの仕事が溜まっているのに……」
 「マルクル、諦めな。アレはしばらく使いモンになんねえよ」
 「そんなぁ」
 「いったい何があったんだい?」
 そう問い掛けたカルシファーに、店で起きた一連の出来事をマルクルは語った。
 「……ねぇ、カルシファー。本当にソフィー、元に戻らないのかな」
 「……さぁね」
 「そんな他人事みたいに云ってないで、なんとかならないの?」


 むっとカルシファーは口を尖らせる。
 なんとかなるようなら、とっくの昔になんとかしている。ハウルもカルシファーも思いつく手は全て試していた。そして、すでにことごとく失敗してもいたのだ。


 (……たった一つだけ残っていた方法もダメだったのは手痛いな)


 これで本当に望みはなくなった。


 (だいたい最初から、――あの呪いは奇妙なんだよな)


 カルシファーもハウルも、城の防御には自信を持っている。
 ……その防壁を破り、しかもそればかりか誰にも感知されずにソフィーに呪いを仕掛けるなど本来不可能なはずだった。
 ハウルは並みの魔法使いじゃなかったし、カルシファーだって上位の悪魔に属している。
 その二人の力を出し抜くなど、……あのサリマンですら無理なはずだ。


 とすると、残された可能性は――。


 (一つ、なんだよなぁ)


 せっせと風呂に湯を送りながらカルシファーは薄ら寒い自分の思考に身震いする。


 カルシファーは気がついていた。……そして、ハウルも、気づいている。
 ただ、二人とも口にしなかっただけだ。
 状況から考えた結果、指し示すものはただ一つ。


 (どーみても今回の呪いは、城内部のものの仕業なんだよなー)




*




 「で? カルシファーは何がしたいの。城の皆を集めて犯人探し?」
 真夜中の密談は、城の天辺で行われた。
 昼間の一件以来ずっと不機嫌を引きずったままのハウルは、悪魔の推理をふんと鼻で笑い飛ばす。
 「カルシファー、忘れるな。……僕たちは家族だ」
 「ハウル…」
 「僕らの中の誰かがソフィーに害を為すとでも? ありえないよ」
 「――だけど、オマエはそれでいいのかよ」
 誰よりもソフィーに元に戻ってもらいたいと考えているのは、この捻くれた魔法使いであるのに……。
 「いいよ、もう」
 不機嫌ではあるが、どこか吹っ切った物言いにカルシファーは少なからず驚いた。……もっと落ち込んでいるかと思っていたのだ。
 「僕がソフィーを愛していることに変わりはない。……たとえ、彼女が僕を愛していなくとも」
 ぎょっとカルシファーが飛び上がった。
 「おいおいハウル! あの呪いはアレで解ける種類のものじゃないってだけだろ。彼女はちゃんとオマエを愛しているさっ」
 「それに、男同士で出来ないわけじゃないしね」
 「聞けよ! 悪魔の話をたまにはちゃんと! ……って、え? 男同士…?オマエ、それっていったい何のこと…」


 ハウルは顔を上げると、にやりと悪魔より悪魔くさい笑みを口元に刷いた。


 「セックス」


 カルシファーはざーっと青ざめる。


 「おまおまおまおまえぇえええっ」
 「じゃ、カルシファー、お休み」


 爆弾発言を残してハウルはひらりとその場を立ち去った。
 闇に消えた残像をカルシファーの悲痛な叫びが追う。




 「オマエ! 男は嫌いって云ってただろーが! ソフィーをどうする気だ! この悪魔!!」




*




 五日目。
 いつものように朝早く起きだし、リビングで食事の用意を始めたソフィーは、先ほどからちくちくと刺さる視線に首を傾げた。
 テーブルに人数分の皿とカップ、美しく磨かれたカトラリーを並べながら、「私、なにかしたかしら」と思考を巡らせるがどうにも思い当たる節がない。
 仕方がないので、彼女はフライパンを手に暖炉へ向かって、いつものお願いついでに聞いてみた。
 「カルシファー、お願い、ベーコンを焼きたいから頭を下げてちょうだい。……ありがとう助かるわ。――ねぇ、ところで、あなたもしかして私になにか言いたいことがある?」
 「ええっ?! ソフィー! なんでだい?!」
 その様子は明らかにうろたえていた。
 赤くなったり青くなったりする悪魔の上にフライパンを置いて、ソフィーは苦笑する。
 「だってあなた、ずっと何か云いたげに私のことを見ているんですもの。……あ、もうちょっと火力を弱めて、熱いわ。――って、つい女言葉になっちゃうのよね、私ったら。お店じゃ気をつけているんだけど、皆の前じゃまだダメね。気持ち悪いでしょう? ごめんなさい」
 「なに謝ってんだよ! オイラ全然気にしてないぞ。女言葉も気持ち悪くなんかないさ。ソフィーが男だって…男だって…うぅうううっ」
 「え? ……ちょっ、ちょっとカルシファー?! あなた、泣いてるの?!」
 見ればカルシファーの両目から炎の涙がぽろぽろ落ちているではないか。涙といっても水ではないようなのでそれで消えてしまうということもないみたいだが、ソフィーはただただ唖然とした。泣く炎の悪魔なんて実際この目で見なければ信じられなかろう。
 「いったいどうしちゃったの? ハウルの泣き虫が移っちゃったのかしら?」






 ひたすら首を傾げるソフィーに、一方カルシファーは申し訳ない気分で一杯だった。
 (ソフィー……あの馬鹿を止められなくてごめんよぉーー!)
 昨夜は彼らの寝室の前をいったりきたりしてほとんど眠っていないカルシファーである。ハウルがどんな無体を働くのかと気が気ではなかったのだ。
 ――だが、敵もさるもの。
 寝室には強力な悪魔よけの呪いが掛けられていた。当然、中で何が行われているのか彼には感知できなくて。だがそれでも、カルシファーはしつこくしつこく中を探ったのだ。夜明けまで。


 「ソフィー! ……身体が辛いなら、休んでいていいんだぞ!」
 「…?? べつに辛くないけど」
 「本当か? 無理してないか?」
 「ええ、もちろん。私、元気よ?」


 普段から無理をしがちなソフィーである。自分の身より家族のことを考えてしまうのが、彼女だ。……そして、彼女は意地っ張りでもある。自分から体調の悪さを訴えたりしない悪癖持ちだ。
 だから、カルシファーは彼女が降りてきた時からずっと注意深く観察していた。


 (うーん。……嘘はついていないみたいだなぁ)


 ヘンだなぁと今度はカルシファーが首を捻った。
 昨夜のハウルは、即行動に移しそうな様子だったのに。


 「おはよう、ソフィー。……いい匂いだね」


 ソフィーが焼きあがったベーコンを皿の上に乗せているところに、爽やかな笑顔を浮かべた問題の魔法使いが現れた。


 「あら、おはようハウル。今日は早いのね」
 「たまにはね。……目玉焼きもつけないかい?」
 「いいわよ」
 「かして。僕が焼くよ。君はお茶のほうをよろしく」
 「ありがとう。じゃ、お願いするわね」


 フライパン片手に暖炉の前に立ったハウルはふふんと意地悪げに笑ってカルシファーを見下ろした。


 「やぁ、カルシファーおはよう。……ゆうべはよく眠れたかい?」


 その一言で、ようやく火の悪魔は悟った。


 (ハウルの奴! ハウルの奴! オイラをか、か、からかったなぁああ!!)




 ――結果、その日の朝食の席には焦げ付いた目玉焼きが皿の上にのり、家族の顰蹙を買ったハウルはただ大人しく肩を竦めて謝ったのである。悪魔の報復にしてはいささか可愛いすぎるなぁと彼が心中苦笑していたのはもちろんカルシファーには内緒だ。




*




 そして、七日目の朝。
 いつもと同じように寝て、いつもと同じように起きたソフィーは、七日前の朝と同様に、唐突に少女の姿に戻っていたのだった。
 当然今回も、誰の痕跡も残されてはいなかった。




 昼過ぎに起きてきたハウルが女の子の姿に戻っている彼女を見て、
 「ソフィー! あんたは僕以外の人とキスしたんだね?! 僕以外の誰かを愛しているんだね?!」
 と『緑のねばねば』発動最速記録をさらに更新したのは余談である。




*




 「よくやったくれました、ヒン」
 「ヒン!」


 陽光降り注ぐサロンで、水晶球に映った魔法犬にサリマンは労いの言葉を掛けた。
 そう。
 ソフィーに呪いを掛けたのは、王室付き魔法使いであり、かつてハウルの師でもあった彼女だったのだ。
 「国が平和になったとたん王宮に寄り付きもしないなんて薄情な子。……少しは堪(こた)えたかしら」
 楽しげに使い犬に尋ねる彼女は、いつもよりいくぶん朗らかに見える。権謀術策に長けた彼女であったが……たまには心の休息も必要なのだ。
 動く城の弟子は、その格好の的であった。
 「ヒン!」
 「……あなたを媒介にしたからバレてはいないと思うけど。実際はどうでしょうね。……あの子は見かけによらず優しいから」
 「ヒン!!」
 「あら、優しくないって? ふふふふ、あなた、相当、彼に意地悪されているようねぇ。だから今回の企みも手伝ってくれたのでしょうけど。え? でも、ソフィーを巻き込むのはもう嫌だ? ……あの少女はみんなに愛されているのね。羨ましいこと」
 「ヒンヒン!」
 「あら、わたくしも愛してくれているの? ありがとう。……そうね、少し寂しいのかもしれないわね。『平和』もいいけど、――考える時間が増えるのは苦手なのよ」
 そっと目を伏せ、サリマンは長嘆した。
 春の日差しは柔らかく、温かいが、彼女の心までは満たしてはくれない。……むしろ、凍てつく風の方が彼女には優しく感じられた。
 「ヒン……」
 「……いいのよ、ヒン。あなたはそこに居なさい」




 (わたしくしの代わりに。あの子の傍に)




 きっとあの『空飛ぶ城』には春がある。
 ……羨ましいとは思うけれど、サリマンの求める『城』は、今も昔もこの王宮でしかないのだった。


 目を閉じ沈黙した彼女を、光の粒子が寂しげな色合いで彩った。








END
薄情な教え子へのサリマン先生の陰謀というか嫌がらせ(笑)。呪いは時限式のものということで。七日で効力が切れる類いのものです。という自己設定。





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