ワルツ
 1,2,3、1,2,3と令を相手にワルツの練習をしているのは紅薔薇さまである蓉子。
 いや、相手をしているのではなく、してもらっているのは蓉子の立場だ。
 演劇の練習が終わった頃の薔薇の館の裏、ここにいるのは令と蓉子の二人だけ。こんな時間にここへ来るような人はそうそういない。
「2,3、と…。もう十分上手じゃないですか。何だか、私が練習させていただいてるような気もしますけど…。」
「…いえ、足取りがぎこちなかったわ。まだ納得行かないわね。」
「そうでしょうか? 私には十分過ぎると思うんですけど…。」
 キリのいいところでワルツを止め、休みがてら蓉子のワルツを評価した。
 令からして見たら、もう十分全校生徒の前で堂々と踊れるレベルなのだが、蓉子の方は未だに納得せず渋い表情を作る。
 これで納得がいかないなら、一体どれほどのレベルで納得するのだろうか。
「令、もう一度お願い出来るかしら?」
「はい、分かりました。」
 さっきの渋い表情を少しだけ残しつつお願いされ、令は若干苦笑いを含んだ笑みを浮かべて蓉子の手を再び取った。
 そしてまたリズムを刻みながらワルツを再開する。もし一般生徒が見たら、あまりの美しさに見惚れる事は確実な光景だ。

 蓉子の練習につき合わされるのは嫌ではない。むしろ、いつしか令はこの二人だけのレッスンの時間が好きになっていた。
 必死に、かつ真剣な表情を浮かべながら目の前で踊る蓉子を見て、失礼ながら可愛いと思ってしまう。
 普段の練習では見せない必死な表情を、この時間だけは令だけが独占して見れる。それが何だか嬉しかった。
(もうそろそろ三週間…。早かったな…。)
 ワルツで廻りながら、そんな事を思う。蓉子と二人だけで練習するようになって、気付けばそれだけの時間が経っていた。
 


「…ねえ令、ちょっといいかしら…。」
 令がカップ類の後片付けをしていると、もう全員帰ったかと思われていた背後から不意に話しかけられた。
 若干狼狽しながらも振り返ると、いつもとは違い少し落ち着かない様子の蓉子がそこに立っていた。
 ちなみに、由乃は不調で今日は休んでいる。
「はい、なんでしょうか?」
 タオルで手を拭いて振り向きざまにそう言うと、蓉子はあのね、と前置きをして話し始めた。
「ワルツの相手、してくれない?」
「ワルツの相手…ですか?」
 そうお願いされて、オウム返しで間抜けに返事をしてしまった。
 あの蓉子が自分にワルツの相手をして欲しいと頼むとは、どういうことだろうか。
「えっと…何でですか?」
「…恥ずかしい話なんだけど、今ひとつ自分のワルツに納得行かないのよ。」
「納得行かないって…あれでですか?」
 今日は学園祭に向けての最初の練習があり、実力試しも兼ねてランダムでペアを組んで一度ワルツを踊ってみたのだ。
 その時のペアが令と蓉子だったのだが、蓉子のその腕前は大したもののように見えた。
 むしろ自分が蓉子にリードされているようにも思ったのだけれど。
「やるからにはしっかり踊りたいのよ。」
「紅薔薇さまらしいですね。でも、何で私なんですか? 私よりもお姉さまや白薔薇さま、それに祥子の方が上手だと思うんですが…。」
 それを聞いた蓉子は少し苦笑いを浮かべて溜息を吐いた。聞いてはいけない事を聞いてしまったのだろうか。
「…確かにそうだけど。あの二人に頼むと後々笑いのネタにされそうだからね。祥子に頼むのも、姉としてのプライドがね。」
「なるほど。確かにそうですね。」
 蓉子の行った理由を聞いて、思わず苦笑いを浮かべた。聖と江利子に頼んだ結果、いつか話のネタにされるのは容易にイメージできる。
 あのときの蓉子ったらさ〜…こんな具合に。
「分かりました。引き受けますよ。」
 苦笑いから微笑みに表情を変えて快諾し、蓉子はそれを聞いてホッとしたように微笑み返した。
「ありがとう。助かるわ。」
「いいんですよ。じゃあ、早速練習しましょうか。」
 そう言ってワルツを踊る心準備をしたが、蓉子は「ちょっと待って」とそれを止める。
「ここじゃないの。ついて来て。」
「え? …はい。」
 少し不思議に思いながら、蓉子に促されるまま後ろをついて行く。薔薇の館でなくて、どこで練習するつもりなのだろうか。

 目的地にはすぐに着いた。ここは薔薇の館の裏の目立たない所だ。
「…ここ、ですか?」
「ええ。ここなら目立たないでしょう?」
「そうですけど…薔薇の館でもいいのでは?」
 練習するだけなら、別に薔薇の館でもいい気がするが。何か意味でもあるのだろうか。
「薔薇の館だとちょっと狭いような気がして。それに、ここなら誰も来ないでしょう? 見られたら恥ずかしいじゃない。」
「ああ、それで。」
 もし仮に聖か江利子に見つかれば確かにからかわれそうだ。それは恥ずかしい。
「それじゃあ令、練習お願い。」
「はい。それでは…。」
 納得すると蓉子から手を差し出されてそれを受け取り、リズムを刻みながら踊り始めた。

 それから一時間弱ぐらい練習し、日が沈み始めた頃に練習を止めた。
「ありがとう令。こんな時間にまで付き合わせちゃって。」
「どういたしまして。こちらこそ良い練習になりました。」
「そう言ってくれて助かるわ。そろそろ帰りましょう。」
 言いながら蓉子が壁に立て掛けてあったカバンを拾ったのを見て、令も釣られたように自分のそれを拾い上げた。
 令が姿勢を元に戻すと蓉子が先に歩き出し、それに合わせて令も歩き始める。
 並木道を歩きながら空を見上げれば、茜色から紺色のグラデーション状に染まっており、星が幾つか瞬いている。
「結構な時間になっちゃったわね。」
「意外と時間経ってましたね。そんなに長くやってたつもりは無いんですけど。」
 令が腕時計を見ながら言ったその言葉に、蓉子は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて令の方へと振り向いた。
「令と踊ってるのが楽しかったからかしらね。」
「え…か、からかわないでくださいよ。」
 蓉子に言われた事が少し照れくさくて、目線をちょっとだけ蓉子から逸らす。
 それでも蓉子は覗き込むようにして令の顔を見ようとする。
「あら、ひょっとして照れてるのかしら?」
「て、照れてませんよ。」
「本当に?」
「本当ですってば。」
 そうやってしばらく蓉子にいじられてると、いつの間にかマリア像の前まで来ていた。
 蓉子は令をからかうのを止めて、マリア像にお祈りを始めた。令も同じようにしてお祈りをする。
 少しして二人がお祈りを止めると、再び歩き始めた。今度は、お互いに黙ったまま。でも、嫌な沈黙ではない、心地良い沈黙だった。
 やがて正門まで来ると、蓉子が改めて礼を告げた。
「今日は本当にありがとうね。」
「いえいえ。お役に立てて光栄です。」
「それとさっき言い忘れてたけど…都合が合う時で良いから、また練習に付き合ってくれる?」
 その言葉に令は「はい」と笑顔で返し、それを聞いて今度は蓉子がまた「ありがとう」と返した。
 それだけ話すと別れの挨拶をしてそれぞれの帰路に分かれていった。
 その道すがら、令は今日の練習の事を思い返していた。
(あれで納得行かないなんて…。…でもま、いいや。)
 その時の真剣な蓉子の表情が思い浮かんで、少し笑った。それと同時に次の練習に少しワクワクしている自分に気が付いた。

 それから予定が無い日は皆に隠れて二人だけで練習するようになっていった。
 薔薇の館での練習が長引いたりしたときは時間が無いので練習は出来なかったが、そうでない時は極力練習を重ねる日々。
 由乃に言い訳するのが大変だったけど、それ以上に蓉子との練習は楽しかった。
 そしていつしか、この練習が楽しみになっている自分がいた。二人でこっそり人目を忍んでのこの練習が。


「あっ…。」
 そんな他所事を思い出していたらうっかりと足を間違えてしまい、少しバランスを崩してしまった。
 慌てて意識を現実に戻し、少し心を落ち着かせる。
「すいません、間違えてしまいました。」
「いいのよ。…そうね、暗くなってきたから、今日はこれで終わりにしない?」
 言われて空を見てみると、確かに日は傾き始めて空も茜色から紺色に変わりかけている。
 ついさっきやり始めたばっかりだと思っていたのだが、もうこんなに暗くなっていたのか。
「私はまだ大丈夫ですけど…いいんですか?」
 本当は令がもう少し練習したかったのだが、それを悟られないようあえて蓉子を気遣うように問いかけた。
「そう言ってくれるのはありがたいんだけど、夜道とか危ないじゃない。」
「あ…そうですね確かに…。」
 ありがたそうに言う蓉子のその言い分に令は納得して、それと同時に寂しさを感じて内心肩を落とした。
 蓉子がカバンを拾うと帰りましょう、と促したのでそれに続いてカバンを拾いその場を後にする。

「あと少しで本番…か…。」
 今週末には本番である劇がある。練習も大詰めになるし、花寺との打ち合わせでこれからはもうほとんど時間が無い。
 もしかしたら今日が最後の練習になる可能性だってあるのだ。
 それを考えると、ひどく心に空虚感が出来るように感じられてしまう。
「そうね…ちゃんと踊れるかしら。」
 一人小さく呟いたつもりの声に反応されて、令は少し驚いた。
 蓉子を見ると、何だか不安気な表情を浮かべている。その蓉子を励まそうと、令は努めて明るい声で声を掛ける。
「大丈夫ですよ。蓉子さまなら十分踊れますから。私が保証します。」
「令…ありがとう。」
 令に励まされ、蓉子は微笑んで振り向いて来た。その笑顔に、思わずドキリとしてしまう。
「いえ、そんな…。」
「ふふっ、令が私のパートナーだったらいいのにね。」
「えっ…。」
 私のパートナー、の部分を一瞬ダンスでなく生涯での、と意味に勘違いしてしまい心臓が飛び跳ねそうになってしまった。
 心臓が激しく脈を打ってきて、顔に血が逆流してくるのが分かる。
 それを落ち着かせようと、蓉子に気付かれないように息を深く何度も吐く。
 そんな事をしている間にマリア像の前まで来てしまった。
 そこで話を中断し、お祈りをするが令は内心落ち着かせるのに必死だ。
 やがてお祈りが終わる頃には令も何とか落ち着きを取り戻す事が出来た。

 それから正門前で蓉子と別れると、歩きながら令はさっきのことを思い出していた。
 なぜあんな勘違いをしてしまったのだろうか。一瞬とは言え、普通だったらあんな勘違いする事は無いだろうに。
「…まさか…。」
 考えていくと一つの可能性が浮かんで、令は思わず足を止めた。それと同時に、顔が熱くなっていくのが分かる。
「…私、紅薔薇さまのことが好きなんじゃ…。」
 口に出すと、ますます顔が熱くなっていく。同時に心臓の脈打つスピードがありえないほど加速していった。
 気付いてしまったこの気持ち、いったいどうしたら良いのだろう。
 令は落ち着かせようと何度も息を深く吐く。しかし、今度ばかりはそれだけでは落ち着かなかった。


 その日の練習からは予想通り更に忙しくなり、その間は二人で練習する時間なんて見つからなかった。
 結局、最後の練習は当日の朝早くに無理矢理時間を入れて行う事となった。それでも、時間の余裕はあまり無い。
「令、わがまま言って本当にごめんなさい…。」
「気にしないで下さい。私は家が近いからそんな大変でもありませんし。」
 紅薔薇さまと練習したかったですから、という言葉を心の中で付け加える。
 あれから気持ちの方は大分落ち着き、今では前と変わらぬ様に接していける様になった。
 その代わり、自分では紅薔薇さまと釣り合わないという気持ちも出来ているけれど。
 その諦めの気持ちが、後ろ向きだが令の心に余裕を持たせているのかもしれなかった。
「…そう言ってくれてありがとう。」
「じゃあ早速始めましょう。時間も余りありませんし。」
 あまりモタモタしているとみんなが来て準備が始まってしまう。
 それまでには蓉子が納得行くレベルまで行くようにならなければ。
 令が手を差し出すと蓉子がその手を取り、いつもと同じようにリズムを取って踊り始めた。

 練習を一時間ぐらいした頃だろうか、だんだんと薔薇の館の中が騒がしくなっていくのが分かった。
 どうやらみんなが集まり始めたらしい。腕時計を見ればもうすぐ集合時間だ。
「もうそろそろ時間ですね…。」
「そうね、もう行かなきゃ。」
 練習を止め二人は置いてあったカバンを拾い上げた。
 全ての練習が終わってみると、元々上手だった蓉子のワルツはかなり上達している。
 同時に、令も同じくらい上手になっていた。
「紅薔薇さま、自信の程はどうですか?」
「ええ、大分自信が付いたわ。もう大丈夫。」
「それを聞けて良かったです。私も練習した甲斐がありました。」
 拾い上げて笑顔でそれだけ話すと、二人は薔薇の館へと入っていった。
 もう練習は終わり。あとは本番を残すのみだ。
(…終わっちゃったか…。)
 それと同時に、令の心の中には一抹の空虚感が漂っていく。
 これで紅薔薇さまとの二人だけの時間が終わってしまった…そう思わざるを得なかった。

 その日は慌しく過ぎ去っていき、劇は大成功という最高の形で幕を閉じた。
 全工程が終わった後の後夜祭、蓉子は令を由乃から一旦借り、いつも練習していた薔薇の館の裏で改めてお礼をしていた。
 由乃がそんな令を借りに来た蓉子を少し不思議そうに見たが、そこは令が上手くフォローする事で深くは突っ込まれる事も無かった。
「令、今まで本当にありがとう。あなたのおかげでワルツは成功したわ。」
「そんなこと…紅薔薇さまが頑張ったからですよ。私はそんな…。」
「いいえ、あなたが私のわがままに付き合ってくれたからよ。心の底から感謝しているわ。」
 真剣な様子でそう言われて、令は恥ずかしくなって少し目を逸らした。
 遠くから生徒達が演奏している音楽が聞こえてくる。
「それであなたにお礼がしたいんだけど、何か望む事はある?」
「お礼、ですか…?」
「ええ。出来る範囲であれば何でも。」
 そう言われて思いつく一番望む事…それは決まっている。“私と付き合ってください”、それが一番の望みだ。
 だからって、そんな事を言えるわけも無い。大体、向こうの言う出来る範囲から外れているだろう。
 じゃあ、デートしてくださいとかは? そう考えて、令は首を心の中で横に振った。
 とてもそんな事を頼む勇気、令には無かった。
「…今は思いつきません。保留にしておいてもらっていいですか?」
 結局、令はこのお礼を保留にしてしまった。恋愛関係のもの以外は何も思いつかない。
 蓉子はそれを聞いて少し苦笑いを浮かべた。令らしい、とでも思ったのだろうか。
「…そう。じゃあ思いついたらいつでも言って頂戴。」
「分かりました。それでは、由乃を待たせてあるので…。」
「そうね。それじゃあ私も失礼するわ。」
 蓉子が手を振って背を向けて歩き出したので、令も由乃の元へと戻って行った。
 やはり思い切って言うべきだったのか、それともこれでよかったのかどうか、よく分からなかった。
(…やっぱりデートぐらい頼んでもよかったかな…でもやっぱこれでいいんだよね…。)
 そんな念が頭の中を何度も渦のように回り続ける。こんな優柔不断な自分に溜息を吐いた。



 結局それから蓉子と接する時は練習が始まる前と同じに戻ってしまい、望むお礼もまだ言い出せていなかった。
 その間、黄薔薇革命とか選挙とか慌しい事もあったのも理由になるけど、ただの言い訳に過ぎない。
 そのままズルズルと時間は過ぎ去り、気付けばもうすぐ蓉子が卒業してしまう時期になってしまった。
 そんなある日、会議が終わった後に何となく久しぶりに練習に使っていた薔薇の館の裏へと足を運んでみた。
 全てはここから始まったのだ。この想いも、それゆえの憂鬱も。
「…もうすぐいなくなっちゃうのか…。」
 最近は隠居を決め込まれているようで薔薇の館にはあまり顔を出さない。
 それ故に顔を合わせること自体が無くなっていた。
 皆の前では出さないものの、やはり寂しくて時々ボーっと蓉子のいた席を眺めている時も度々ある。
 その寂しさを紛らわそうとここへ来てみたのだが、どうにも気分は晴れない。
 むしろ、楽しかったあの頃を思い出して余計に寂しくなって来た気がする。
 暖かくなってきて芝生が色付き始めた初春のこの景色に、似つかわしくない気持ちだ。
「…あの頃に戻れないかな…。」
 溜息交じりでそんな事を呟いて空しくなった。そんな事出来るわけ無いのに。
「…令? 何しているの?」
 誰もいないと思っていた所で不意に名前を呼ばれ、振り返ると祥子が立っていた。
 もう帰るところなのか、カバンを持ちマフラーを付けている。
「祥子。…うん、ちょっと散歩。」
「散歩、ねえ。その割には足が動いてなかったように見えたけど?」
「ちょっと休んでただけだよ。」
 適当な言葉で紛らわし、令は祥子の方へと足を踏み出した。
 この場にいても得られるものは何も無い、それならばここにいても意味は無いだろう。
 令が帰ろうか、と祥子に促すと頷いて並んで歩き始めた。

 手持ち無沙汰に、歩きながら他愛も無い事を話して行った。
 ただ極力、蓉子ら三薔薇に関する話題は避けていたけど。話していれば、辛くなるのは必至だ。
「…そういえば令、最近元気無い様に見えるけど、何かあったの?」
「えっ…そうかな?」
 不意にそんな事を振られて、少し狼狽した。
 感情を表面には出さないようにしていたが、知らず知らずのうちに出していたのだろうか。
 令はそれを悟られないように、祥子から少し目を逸らして口を開く。
「別に…なんでそう思ったわけ?」
「最近のあなた、何だかボーっとしてるというか覇気が無いというか…。由乃ちゃんとケンカでもしたの?」
「いや…そういう訳じゃないんだけど…。ちょっと情緒不安定なのかな。」
「…ああ、黄薔薇さまが卒業してしまうから、それでかしら?」
「…うん。だからだと思う。」
 蓉子に関する三薔薇の話題は避けたがったが、向こうから振られて無視する訳にも行かず曖昧に答える。
 確かに姉の江利子が卒業してしまうのも寂しいが、それ以上に蓉子と離れるのが寂しかった。
 祥子はそこまでは気付いていないのか、深くは言及しない。
「…ま、何か伝えたい事があるならそれまでにはっきり伝えなさい。うやむやにしたら後悔するだろうから。」
「…うん…。」
 それまで話すと、令は空を見た。澄んだ茜色と紺のグラデーションが、どこか切ない気分にさせる。
(…伝えられたらこんな苦労しないよ…。)
 心の中で、そう一人ごちた。


 それからすぐに卒業式が来て、それも色々な事があってすぐに終わってしまった。
 そして、最後の蔦子による写真撮影。みんなが写真をいくつか取ってもらい、それも終了すると解散になった。
「それじゃあみんな、後は任せたわよ。」
「はい、分かりましたお姉さま。」
 蓉子と祥子がそれだけ交わすと、全員がごきげんようと挨拶して、三薔薇さまの三人はその場から去って行った。
 その後姿…特に蓉子を見送って、令は心の中で自分を無理矢理納得させようとしていた。
(…これで良いんだ。高校生活の最後に、迷惑を掛けちゃいけない。このまま見送るのが一番良いんだ…。)
 そう思いながら、蓉子達が歩いて行った小道を眺める。
 やがて移動しようかと思ったが、そこから目を離せなくて足がその場から動こうとしない。
「…令ちゃんいいの? 紅薔薇さま行っちゃうよ。」
 まだ未練があるのかと、自嘲気味に少し笑ったと同時に隣にいる由乃からそう言われた。
 不意にそんな事を言われて心臓が激しく脈を打ち、思わず飛び跳ねそうになってしまう。
「な、何の事言ってるの? ちょっとよく分かんないんだけど…。」
「誤魔化さないで。紅薔薇さまに伝えなくていいのかって聞いてるのよ。」
 真剣な表情で顔を見抜いたまま言ったその言葉に、令はまさか、と思った。
「よ、由乃…ひょっとして…。」
「ずっと前から分かってたわよ。令ちゃんが紅薔薇さまの事、好きだって事ぐらい。」
 完全にばれてる。ずっと感付かれないようにしてきたつもりはずなのに。
 少し呆然としている令に構わず、由乃は令と向き合って更に詰め寄ってくる。
「行きなさいよ令ちゃん。行って、伝えてきなさいよ。」
「…そんな、無理だよ。私なんかじゃ紅薔薇さまと釣り合わない…。」
「はぁ? 誰が釣り合うとか釣り合わないとか決めるの? そんなの関係無いじゃない!」
「いや、でも……。」
「このいくじなし!! 令ちゃんみたいに強くなりたいって手術したのに、令ちゃんがそんな弱いんじゃ…私…情け無いじゃない…!」
 最初は呆れと怒りだったのに、最後の方は情けなさと悲しみに変わってしまい、由乃は目から涙を流し始めてしまった。
 令はその由乃に対してどうすればいいのか分からず、オロオロするしか出来ない。
「よ、由乃…。」
「令、忘れてしまったの? 伝えたい事ははっきり伝えろって。うやむやにしたら後悔するって。今がその時なんじゃないの?」
 今度は後ろから少し棘のある声で祥子から言われてしまった。振り返ると、祥子が腕を組んで呆れたようにこちらを見ている。
「祥子…?」
「令さま、少しは根性を見せて下さい。そうじゃなきゃこの先、薔薇さまなんてやっていけませんよ。」
 今度は志摩子。
「頑張って下さい令さま! 由乃さんの為にも!」
 今度は祐巳。令以外の全員が、こっちの方を見て口々に令を急かしていく。
 何だ、何だこれは。まさか全員知っていたのか?
「みんな…?」
「…気付かれてないとでも思ってた? あなたって結構分かりやすいから。二人で練習していた事もね。」
 祥子がみんなの気持ちを代弁し、それを聞いて令は一気に恥ずかしくなってきた。
 知られていないようにしていたつもりだったのに、全部筒抜けだったとは。
 そうやって立ち尽くしていると、由乃によって蓉子達が歩いて行った方へと体を回され、同時に思いっきり背中を叩かれた。
 あまりの痛みに顔をしかめて由乃の方を振り返る。
「行きなさい令ちゃん!! ダメだったらいくらでも泣き言に付き合ってあげるから!!」
 痛む背中を摩りながら由乃に言われ、みんなを見ると「行きなさい」とでも言いたげな目で見ている。
 でもその表情は優しく、そして力強い。見ているだけで何だか勇気が湧いてくるようだ。
 大丈夫。もし蓉子が駄目でも、自分にはみんながいる…そう、自然に思えてきた。
「…分かった、行ってくるよ!」
 意を決すると、令は蓉子達が向かっていった方へ駆け出した。
 蓉子達が行ってからまだ数分も経っていない。走っていけば追いつくはず。
 祥子の言う通り、このままうやむやに済ましたらきっと後悔する。だったら振られて泣いて、すっきりした方がマシだ。

 正門まで走っていくと、そこで蓉子達三人が何か話し合っているのが見えた。
 その近くまで走っていって蓉子に声を掛けると、酷く驚いたように令の顔を見た。
「れっ、令!?」
「紅薔薇さま…。少しお話があります。来てください。」
「えっ、ちょ、ちょっと!?」
 返事を待たずに蓉子の手を掴むと、そのまま連れ去るようにして引っ張っていき、後には聖と江利子の二人だけが残された。

 二人はその令を見て少し呆気に取られていたが、すぐにクスクスと笑い出した。
「令もなかなかやるねえ、見直したよ。向こうから来てくれるとはね。それもあんな強引にさ。」
「蓉子も結構奥手なところあるから、令が引っ張ってくれて助かったわ。」
 遠くへ小さくなっていく二人を見ながら、そんな事を話す。
 どうやら聖も江利子も、さっきまでの由乃達と同じようなことをここでやっていたようだ。

 そのまま引っ張っていって辿り着いたのは、いつもワルツの練習をしていた薔薇の館の裏。
 誰も来ないだろうし、何より、一番思い出深い場所だ。
「れ、令…どうしたの…?」
 説明も無しに突然こんな所へと連れて来られて、蓉子は荒い息のまま令へと問いかけた。
 令は問いかけられると、蓉子の方を振り向いて口を開く。
「…紅薔薇さま、学園祭でのお礼の事、まだ覚えてますか?」
「お礼…ええ、まだ保留のままの…。」
「はい。あの時は保留にしてましたけど、今その願いが決まりました。」
「え…何?」
 緊張する心を押さえつつ、蓉子の目をしっかりと見つめる。
 もうどうにでもなれ、やがて拳を強く握り締め意を決するとその願いを言った。
「私と付き合ってください! あなたの事が好きです!」
 少し気張りすぎたのか、思いのほか大きな声を出してしまい自分自身で驚いた。
 一方、蓉子は突然の告白で頭が追いつかなかったのか、一瞬動きが停止してしまった。
 だが事を理解すると、荷物を手から落として両手で口元を覆い、同時に顔が真っ赤になっていく。
 同時に、令の緊張は確実に高まっていった。喉はカラカラで、顔に血液が流れてきて異様に熱い。
 足も震えているのが分かり、下手すればこのまま卒倒しそうだ。
「…本当…?」
 か細い声で、そんな言葉が耳に入った。蓉子を見ると、最初は驚きだけだった目が潤みを帯びてきているのが分かる。
「はい、本当です。ずっと…ずっと好きでした。学園祭の時から…。」
 気をしっかりと持ち、真っ直ぐと蓉子を見つめたまま、今度は落ち着いて、そしてしっかりと力強く答えた。
 やがて潤んでいた蓉子の瞳から、いくつもの涙が頬を伝って流れ始めた。
「ありがとう…。…私もよ。」
「…え…?」
 ありがとうの後の言葉が一瞬理解できず、場に似合わない間抜けな声を思わず出してしまった。
 それが聞こえたのか、蓉子は涙を拭わずに微笑んで、もう一度口を開いた。
「…私も、令のことが好きよ。」
 “令のことが好きよ”、聞き間違いでないなら確かにそう聞こえた。
 ということは、つまり…。
「そ、それじゃ私達…。」
「…両想い、だったのね…。」
 蓉子にそう言われて、令は全てを理解した。
 駄目だと思っていたのに、それが両想い…まるで少女漫画のありがちなワンシーンそのままだ。
 理解したと同時に緊張の糸が切れて足の力が抜け、その場に思わずペタンとへたり込んだ。
 突然へたり込んだ令に驚いたのか、蓉子が慌てて傍に駆け寄ってくる。
「令、どうしたの?」
「いえ…両想いだって分かったら、ちょっと気が緩んで…。」
 苦笑いを浮かべて令が言い、その様子が可笑しくて蓉子は思わず吹き出した。
「しっかりしてよ、令」
「そんな事言ったって…凄い緊張してたんですから…。」
「…もう、情けない王子様ね。」
 やれやれといった様子で蓉子が笑って、令の手を掴んで立たせた。
 しかし立たせても手は掴んだまま離そうとせず、令は不思議そうに蓉子を見た。
「…蓉子さま?」
 無意識の内に紅薔薇さまではなく蓉子さま、と呼ぶ。それを気にせず、蓉子は口を開いた。
「一緒に踊ってくれない? …二人だけのワルツを。」
「ワルツ…? はい、喜んで。」
 意を解すと、もう片方の手を取り目と目で合図をしてからワルツを踊り始めた。
 それはもうリズムを取る必要も無いぐらい、完璧に息の合ったワルツ。
 そのワルツを踊りながら、様々な想いが込み上げて来る。

 もしあの練習が無ければ、こんなふうに両想いにはなれなかったはず。
 みんなに隠れて――結局ばれてたけど――練習を始めて、二人だけで時間を過ごして、次第にこの想いが大きくなっていって…。
 そして時間は掛かったけど、こうやって結ばれた。…まるで少しずつ、引力で惹かれあうように。

 令は突然足を止めると、自分の胸の中に引き寄せるようにして蓉子をそのまま抱きしめた。
 蓉子は一瞬驚いたようだが、すぐに状況を理解して同じように令の背中へと手を回す。
「…蓉子さま、何があってもあなたを離しませんから…。」
「ええ…離さないで頂戴。あなたの傍から…ずっと…。」
 春の日差しを受けた木漏れ日の下で、お互いの感触を確かめ合いながらそう誓って抱きしめる。
 新たな関係になってこれから先、どんな事が起こるのか分からない。いい事も、そして悪い事も。
 だとしてもこの手を離すなんて事は絶対にありえない、そう思えた。

 想い合っている限り、どんな事があったって引力で引き合う様に求め合うのだろうから。
 そしてワルツのように、二人の想いで新たな思い出を描き出していくのだろうから…。
 あとがき:

 某サイトに触発されて書いた初の令×蓉子…書いてて楽しかったです。
 それにしても卒業式に上級生に告白って、まさに青春物の王道ですね。(ありがちとも言う)
 楽しかったのでもしかしたらまた令蓉で何か書くかも。マイナーって素敵w

 SSモデル曲:ワルツ(スネオヘアー)

2style.net