お月様のっぺらぼう
「…はぁ。」
 江利子は机の上に乱雑に置かれている、多くの書類達を見てかったるそうにため息を付いた。
 どれもこれも、仕上げる為の締め切りまでの日数はほとんど無い。
 中には、明日の放課後には出さなければならない日付のものもある。
 まあ江利子ぐらいなら、いざとなればさっさと片付けられる内容である。
 が、一向にやる気が出ない。やらないといけないと思うのだが、面倒くさくてやる気が全く出ないのだ。
「まったく、蓉子も生真面目なんだから…。」
 今日帰ろうとしたときにこの書類の束を押し付けてきた時の蓉子の顔が目に浮かんだ。
 最近はあまり薔薇の館にも立ち寄っていなかったのだが、今日は蓉子に運悪く捕まって無理矢理薔薇の館まで連れて行かれてしまった。
 そこで押し付けられたのがこの書類である。
 その時の蓉子は一応抑えていたものの、少しでも刺激を与えればそれこそ大爆発を起こしかねないぐらいに血管が浮かびまくっていた。
『明日までに半分は済ませてきてよね…こっちはただでさえ忙しいのに、あなた達の分まで面倒見なきゃいけないんだから…!』
 こめかみをヒクヒク痙攣させながらそう言った台詞は、今でもしっかりと覚えている。
 まるで修羅か鬼を連想させるような、地の底から響くような声…あの時はオーラで蓉子を取り巻く空気が歪んで見えたほどだ。
 隣を見れば青い顔で震えている聖、周りを見れば同じように怯えている祥子達…さすがに今度ばかりは少しならずとも震え上がった。

 しかし、人間喉もと過ぎれば熱さ忘れる、とはよく言ったものだ。
 その時は刺激を与えないよう大人しく頷いたのだが、その時を過ぎれば少しずつ「面倒くさい」という気分になってきてしまった。

 そしてそれは今も引きずっていて、現に目の前に置かれている書類たちに江利子はまったく手を付けようとしていない。
 一応手に取って書類をチラチラ見てみるものの、見ていると段々「面倒くさい」という気分が沸いてくる。
「…やんなきゃ、絶対怒るよね…。」
 蓉子の言う事を無視して、白紙の書類を見せたときの反応は容易に想像できる。
 恐らく…と言うか絶対、キツーイ説教が待っているに違いない。下手すれば、一、二発ぐらいビンタされる可能性もある。
 …さすがにそれだけは避けたいので、気は進まないものの江利子は書類に取り掛かろうと、ようやくペンを手に取った。

 が。

「はあ…面倒くさい…。」
 それから十数分後…江利子は書類を数枚片付けただけですっかりやる気をなくし、ペンを指先でクルクル回していた。
 やれば出来るはずなのだが、やる気が無いせいかどうも集中力が持続しない。
 おまけに、書類の細かい文字を見ていたら眠気まで出てきてしまって、ますますやる気が削がれていく。
「気分転換でもしようかしら…。」
 このままグダグダとやっていたってほとんど進まないだろう…。
 そう判断した江利子は、眠気覚まし兼気分転換になるものを探しに部屋を出て行った。


「…ハッカ飴、か。」
 江利子は手にある飴玉二つを見てそう呟いた。
 あれから気分転換にとブラックコーヒーを飲んだりしたのだがどうも今ひとつに感じられた。
 仕方が無いので、あまり関わりたくなかったのだが兄に何か無いかと尋ねたらこの飴をもらったのだ。
 ちなみに貰った時「お礼にどこかへ今度一緒に行かないか」とか色々言ってきたような気がするのだが完全にシカトしてきた。
 
 手にあるハッカ飴のラベルには確かに眠気覚ましの効果がある、と書かれている。
 まあ普段忙しい兄がこれを使っているのだから確かに効果はあるのだろう。が、どうも何となく今ひとつ胡散臭く感じてしまう。
 江利子は半信半疑のまま、そのうちの一粒を口の中に放り込んだ。
「…っ。」
 口の中に入れると、ひんやりした感覚が口の中を駆け巡った。
 息をすれば爽やかな空気が肺の中へと流れ込んでいき、それが刺激となって脳へと流れ込んでいく。
 思った以上に刺激があり、眠気も大分覚めて失っていた集中力も取り戻すことが出来た。
「さて、それじゃ一気に片付けようかしら。」
 頭を振って心機一転、江利子は気合十分で書類を片付けんと机に向かった。



「蓉子、頼まれた書類全部片付けてきたわよ。」
 爽やかな笑みを浮かべたまま、ドンと蓉子の前に書類の束を差し出した。
 それを見た蓉子の目が、思わず驚きで大きく見開かれた。
「全部って…あれだけあったの全部!?」
「ええ、その通りよ。」
 蓉子は若干驚きつつも、渡された書類を一枚一枚確認していく。
 バーッと確認していったが、特に修正箇所や間違っている部分などは見つからなかった。
 やがて全部確認し終えると蓉子は江利子の方へと振り向いた。
「凄い、やれば出来るじゃない。」
「まあ、ね。これくらい。」
「普段からこうだともっと良いんだけどね。」
 江利子の方を見ながら蓉子は苦笑いを浮かべて、溜息を吐きつつそう言った。
「…努力するわ。」
 同じように苦笑いを浮かべて、蓉子にそう返す。
 すると蓉子は、表情を変えて今度は江利子の隣にいる聖の方へと向き直った。
 視線を江利子から自分に変えられて、聖は青い顔をして思わず蓉子から目を逸らしてしまった。
「何で目を逸らすのかしら?」
「い、いやあ、別に意味は無いんだけど…。」
「じゃあこっちを見なさい。」
「え、えっと…。」
「さあ、早く。」
「…はい…。」
 話していくうちに蓉子の声のトーンがどんどん低くなっていく。
 これ以上逸らすと、もっと恐ろしい事になると判断した聖は観念して蓉子の方へと目を向けた。
「やっと向いてくれたわね。」
「は…はあ…。」
「それで、書類はやってきてくれたかしら?」
 書類、という単語を聞いて聖の顔がますます青くなり、それを見た蓉子の顔が恐ろしく冷たい笑顔に変わっていく。
 蓉子はその笑顔を崩すことなく、さらに聖に話しかけていった。
「ねえ、書類は? 聖?」
「しょ、書類ねぇ。うん、うん、書類…ねぇ…。」
「昨日あれだけ言ったんだから、やってきてくれたんでしょ?」
「え、あ、あぁ…あは…は…。」
 話を進めていくうちにどんどん青くなっていく聖、同じように氷の笑みを深めていく蓉子。
「せ・い?」
 そして、トドメの紅薔薇スマイル。
「…ごめんなさい…やって…ま…せ…ん…。」
 聖、紅薔薇スマイルでノックアウト。死人のような顔でとうとうやってない事を暴露。
「…へぇ〜…。」
 笑顔のまま蓉子は立ち上がり、聖に一歩近付く。すると、聖は一歩後ろへと下がった。
「何で、逃げるのかしら?」
「いや、べ、別に深い意味は無いんだけどね…。」
「…逃がしはしないわよ。」

 それからあっという間に聖は蓉子に捕まり、江利子は蓉子にお仕置きされている聖を見て大笑いしていた…。



「…あれ…。」
 目の前で蓉子に折檻されている聖を見て大笑いしていたはずだったが、いつの間にか自分の部屋へと景色が変わってしまった。
 机から体を起こしてみれば、目の前には乱雑に広がった書類達…どうやら途中で眠ってしまったようだ。
 さらに周りを見てみれば、舞い散ったであろう書類が何枚か床の上に散らばっている。
「夢…?」
 ぼんやりとした頭で、さっきまで見ていたのが夢だということを理解した。
 江利子は半ば夢見心地で床の上の書類を拾い集めていった。
 すると、薄ら寒い風が部屋の中を吹き抜けていき、机の上の書類がまた舞い散ってしまった。
「…なんなのよ…もう…。」
 半ば苛立ちながら窓の方を見ると、窓が開けっ放しになっていた。どうやら閉め忘れていたようだ。
 江利子は持っていた書類を適当に机の上に置くと、その窓を閉めようと近付いていった。
「…月が…。」
 窓に近付いた時、冷たく湿ったような風が頬を撫ぜていった。
 そして空を見れば、真ん丸な満月が厚い雲に隠されていくところだった。
 湿った風にこの厚い雲…どうやら前線が来たらしく、今すぐにでも大雨が降ってきそうなところだ。
 危ない危ない、あのまま寝ていたら危うく部屋の中が水浸しになるところだった…。
 江利子はそう思いながら、窓とカーテンを閉めて部屋の中に戻った。
「…もうこんな時間…。」
 時計を見れば、既に日付が変わって数時間が過ぎている。
 江利子はまだ散らばっていた書類も集め、全部の書類をチェックし始めた。
 幸いな事に明日(厳密には今日)が締め切りの書類は何とか終えてあり、他の書類も少しだが出来ている。
 まあ、後半の書類は眠かったせいか字が酷いので書き直さなくてならないだろうが…。
「…もう、本当どうでもいいわ…。」
 中途半端に眠ってしまった為に、眠気が酷い。そのせいで、元々少なかったやる気は既にマイナスにまで下がってしまった。
 チェックしてみたところ、半分とまではいかないもののわりと出来ていた。
 この分なら、蓉子のカミナリも軽くて済むだろう…そう思って、江利子はとうとうベッドに倒れこんだ。
 その際、ポケットに何か違和感を感じてポケットを探ってみた。
「…ハッカ飴…。」
 出てきたのは、兄から貰った眠気覚ましの飴。
 もしこれでもう一度眠気が覚めるなら、もう一度書類を片付けてしまおうか…そう思って、ハッカ飴をもう一度口の中に放り込んだ。
「……。」
 確かに、あの時と同じような感覚が口と肺の中に吹きぬけた。しかし、それもつかの間だった。
「…やっぱ眠い…。」
 すぐにウトウトと強烈な睡魔が襲ってきて、それは一瞬しか効果を表さなかった。
「…何よバカ兄貴…。効果ないじゃない…。」
 江利子はティッシュにそれを吐き出すとそのままゴミ箱へ投げ捨てたが、それは目標を外れてそのまま床の上にポテッと落ちた。
 もうそれをゴミ箱に入れる気力も無くなって、江利子はそのまま目を閉じてしまった。
「…まあ…叱られるなら…それでも…良い…わ…。」
 投げやりな台詞が口から出て、それからは規則正しい呼吸音しか口から出なくなった。


 次の日、夢の中とは反対に聖は言われたとおり書類をしっかり終わらせて蓉子から褒められていた。
 対して江利子は、字が汚いだのいい加減だので結局しっかりとお説教されてしまったうえ、半分近くやり直しを食らってしまった。
 まあ、ビンタが飛んでこなかったのは不幸中の幸いだったけれども。

「あ〜ルナルナ〜。」
「意味不明な事言って誤魔化すんじゃないわよこのデコチン!!」
あと書き

ただ江利子さまがグダグダしてるようなSSが書きたかった、ただそれだけです(苦笑)
他に書くようなことは特に無いんですが、江利子さまの性格ってこんな感じでしたっけ?
とりあえず、私の中のイメージはこんな感じです。何か、いつもかったるそーな投げやりっぽそーな、そんな感じ(謎)
そしてやっぱり私が書くとヘタレな聖さま。ヘタレ聖さまバンザイ(ごめんなさい)

SSモデル曲:お月様のっぺらぼう(フジファブリック)
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