「可南子さん…私達、やっぱり別れましょう。」
「と…瞳子さん…? な、何を言い出すんですかいきなり…。」
 瞳子からいきなり告げられたその言葉に、可南子は思わず耳を疑った。
 一瞬タチの悪い冗談かと思われたが、その表情は真剣で、そしてどこか悲しげで…とても冗談とは思えない。
「…冗談、ですよね? ねぇ? …冗談でしょう…!」
 頭では冗談ではないことを分かっているが、それを否定して欲しくて当たり前のことをもう一度聞き返す。
 しかし、それにも瞳子は表情を変えずに首を横に振った。
「…いくら愛し合っても、私達は女同士…。世間から見れば、イレギュラーな存在に過ぎませんわ…。」
「イレギュラーって…! そんなの関係無い…!」
 声を震わせ、涙を流しながら瞳子の言うことを頑なに拒否する。
 可南子には瞳子しかいないし、それに男性と付き合うのはどうしても遠慮したいところだ。
「今はそう思うかもしれませんが、いつかきっとお互いに傷付く時が来ます…。私は、可南子さんが傷付くのを見たくありません…。」
「そんなこと…!」
「…それに、私はもう…プロポーズされたんです。」
「なっ…!?」
 瞳子が左手を可南子に見やすいように掲げると、確かに薬指にはキラリと輝く指輪が嵌められていた。
 それもその辺で売っているものとは全く次元が違う、上等なダイヤの指輪…間違いなく、それは結婚指輪その物だった。
 その事実を突きつけられて、可南子の全身から血の気と力が抜けていきその場にへたり込んだ。
「そ…そん…な…!」
「…ごめんなさい、可南子さん…。でも、これがお互いのためなんです…。」
「嘘…そんなの…!」
 どうしようもない絶望に心を押し潰されて、辛そうな瞳子の顔をじっと見つめる。

 そうやって見つめていると、瞳子の背後から一人の男性が現れた。
 やがてその男性は瞳子の隣に立つと、そのまま瞳子の肩を自分の方へと抱き寄せた。
 その薬指には、瞳子と同じような指輪が嵌められている。
「…優お兄さま…。」
 瞳子は自分を抱き寄せたその男性の方を向くと、気が付いたようにその方を向いた。
 それに答えるかのように、その優と呼ばれた男は優しそうな笑みを浮かべて瞳子のほうを向く。
「瞳子、大丈夫。今は辛いだろうけど、僕が必ず幸せにしてあげるよ。」
 目の前に可南子がいるのに平然と甘い台詞を吐く柏木に、可南子はこれまでに無いほどの嫌悪を感じた。
 瞳子に掛けた綺麗な手が、甘いマスクが、声が、どうしようもなく汚らわしく感じられる。
「可南子ちゃん。」
 不意に、瞳子に向けられていた顔が可南子の方へと向いた。
 可南子はその顔を見るのを耐えかねて、思わず目を逸らす。
「君も誰か男性を選んだ方がいい。瞳子は僕に任せて。ね。」
(うるさい…! 誰が男なんかに瞳子さんを任せられるものですか…!)
 本来なら大声で言いたいところだが、認めたくはないが瞳子の婚約者…瞳子の前で、そう言う訳にもいかずに声を必死に押し殺す。
 可南子のその様子も気に掛けずに、柏木は次々と聞きたくもない言葉を吐いていく。
「きっと、今以上に君を幸せにしてくれる人が現れるはずだよ。」
(そんなの、瞳子さん以外考えられない…!)
「まだ男性に対して嫌悪感が拭えないのは分かる。けど、全ての男性が悪い人な訳じゃない。」
(あんたみたいな自分勝手な人間が一番嫌なのよ…!)
 柏木の言う事に吐き気を感じながら、それを心の中で必死に否定する。
 とても、柏木の言うことを素直に受け止める気にはなれなかった。
「…何も言わないってことは、分かってくれたようだね。それじゃあ瞳子、彼女に別れの挨拶を。」
「はい…。」
 柏木にそう言われて、瞳子が可南子の方へと向いた。それに可南子が気付き、柏木を見ないようにして瞳子を見た。
「可南子さん、あなたと仲直りが出来て、そして恋人になれて、本当に楽しかった…。この時間は、決して忘れません…。」
 悲しそうな笑顔でそう言う瞳子の言葉の一つ一つが、可南子の心を壊していく。
 嫌だ、別れたくない…! 男なんかと結婚しないで…お願いだから…!
「…それでは、さようなら…私の恋人だった人…。」
 それだけ言うと、柏木が瞳子の手を引いてエスコートするかのように可南子に背を向けて歩き始めた。
 それを引きとめようと、可南子は瞳子へと走り寄ろうとしたが足に上手く力が入らずに立ち上がることさえ出来ない。
 可南子がそうしている間にも瞳子と柏木は可南子から離れていき、姿が見えなくなっていく。
「お願い…帰ってきて…!」
 遠くなっていく後ろ姿を見つめながら、そう弱々しく呟くしか可南子には出来ない。
 当然それも二人の耳には届かずに、そのまま歩を進めていく。
「嘘だって…ほんの冗談だって言って…! お願いだから…!」
 涙を流しながらなおも呟く。そうしているうちに、二人の姿は完全に見えなくなってしまった。
 それと同時に、自分の周りが漆黒の闇に包まれていく。まるで、今の自分の心のように。
「と…瞳子さん…そ、そんな…!」


「…っ!!」
 その場に泣き崩れたと同時に、目の前が漆黒の闇からいつもの見慣れた天井へと変化した。
 可南子は上半身を起こして辺りを見渡すと、今いる所が自分の部屋だということを理解した。
「夢…だったの…?」
 夢にしては、妙に生々しくてリアルな夢だった。
 未だに息が荒いし、全身に嫌な汗をべったりと掻いて限りなく不快だ。
 可南子は息を整えながら、何度もあれはただの夢だと自分へと語りかける。
 しばらくそうしていると、少しずつだが気持ちの方も落ち着いてきた。
 …それにしても、何故今日に限ってあんな不吉極まりない夢を見てしまったのだろうか。
 今日は楽しみにしていた、一週間ぶりのデートだと言うのに。
 あんな夢を見たことを恨みつつも、全身に掻いた汗がどうしようもなく不快になってきて思わず顔をしかめた。
「気持ち悪い…シャワー浴びてこよう…。」
 可南子はいても立ってもいられなくなり、シャワーを浴びてこようと立ち上がった。


 待ち合わせである駅前の噴水広場にあるベンチに座って、可南子は瞳子が来るのを待っていた。
 広場の時計を見れば、約束の時間の五分前。もうそろそろ、瞳子が来てもいい時間だ。
 しかし、可南子の気持ちの方は今一つ晴々としていない。空は真っ青に晴れ渡っているというのに。
「…イレギュラー…、か…。」
 夢の中で瞳子から言われたことを思い出して、可南子はまたもう一つ溜息を吐いた。
 あの時は瞳子の言う事を否定していたが、今になって思い返してみると瞳子の言っていることは正論だった気がする。
 自分の周り…リリアンでは女性同士で付き合っている人も多く、今まで特に疑問に思ってはいなかった。
 祐巳は祥子と、乃梨子は白薔薇さまとごく普通に付き合っているし、クラスメートにもそういう人は多くいる。
 でもそれはリリアン内だけの常識であって、それは瞳子の言っていた『世間から見ればイレギュラー』な同性愛。
 同姓婚も日本では未だに認められてはいないし、世間からはやはり特異の目で見られるのは容易に想像できる。
 …それで、本当に幸せな未来を創れるのだろうかと、少し不安に感じた。
 そして、一番恐ろしい事…瞳子がそのことに気付いて、男のもとへと行ってしまうことだった。
 そう、夢の中での事のように。
「くだらない…ただの夢じゃない…。」
 頭を振ってその考えを振り払おうとするが、どうしても嫌な想像が頭を離れない。
 瞳子が可南子に別れを告げて柏木とかいう男のもとへと嫁いでいく、あの悪夢のシーンが何度も甦ってくる。
 あれが現実になったら自分はどうなってしまうのだろう…想像しただけで全身に悪寒が走り、身震いした。
 それだけじゃなく、今はまるで瞳子を誰かに奪われてしまいそうに思えて、男という男がどうしようもなく汚らわしく感じる。
 父と和解して収まった男性への嫌悪が、あの夢でまた湧き上がってきてしまったようだ。
 そう思うと、デートとは言え瞳子をあまり街中に晒したくない気分だ。
 幸い、今日は映画を見てからの予定を決めていないから可南子の部屋で瞳子と二人きりに、ということも出来る。
 最初は映画の後はウィンドウショッピングでも、とぼんやり考えてはいたのだが夢のせいでそんな気分ではなくなってしまった。

「可南子さん、待たせてしまいました?」
 モヤモヤした気持ちのまま色々と考えていたら、後ろから不意に話しかけられた。
 その声で瞳子が来たことに気が付き、可南子は笑顔になってから後ろへと振り返った。
「瞳子さん。そんな事はない…ですけど…。」
 しかし瞳子の姿を見て、可南子の表情が固まってしまった。
 瞳子の今日の格好は胸元から肩が大きく露出した真っ白いワンピースで、瞳子の白い肌が目を引きつける。
 瞳子にしては珍しい格好だ。
「…可南子さん、どうしました?」
「その格好は…。」
「この服ですか? 先日買ったんですけど…似合いませんか?」
「え…いえ、とてもよく似合ってますよ。」
 不安げな顔で見てくる瞳子の顔を見て、再び笑顔に戻してそう言い繕った。
 それを聞いて、瞳子の表情も少し明るくなった。確かに白いワンピースは瞳子によく似合っていて可愛らしい。
 だがあんな夢を見た可南子にしてみれば、あまり素直に喜べないのが正直な気分だった。
 あの夢を見ていなければ素直に可愛いと思えるだろうが、その大きな露出が男達の目を引きつけるのではないかと気が気ではない。
 自分が羽織っているシャツを羽織らせようかと思ったが、可南子と瞳子ではあまりにもサイズが違いすぎる。
 そんな格好をさせたら不自然過ぎて別の意味で目を集めてしまいそうだ。そういうのが好きな人も多いし。
「それでは行きましょう。そろそろ行かないと映画に間に合いませんよ。」
「あ…そうですね、行きましょうか。」
 瞳子にせかされて考えるのを止めて、二人揃って映画館へと向かって行った。
 その道中、当然の如く可南子は周りの男性の視線が気になって仕方がなかった。
 いやらしい目付きで瞳子を見ているのではないかとか、ナンパしようと言い寄ってくるんじゃないかとか、気が気ではなかった。

 道中は何事も無いままで映画館に着き、今は席に着いて映画が始まるのを待っている。
 今日が休日ということもあってか、まだ開始五分前だというのに結構な席が埋まっていた。
 来ている客の中にはもちろん男もいるわけで、可南子は後ろからのその視線に対して敏感になっていた。
 チラチラと後ろを見ては、瞳子を変な目で見つめている輩がいないかチェックしている。
「…可南子さん、何か後ろに気になる物でもありますか?」
 そんな可南子の様子が気になったのか、瞳子が不審そうにそう尋ねた。
 可南子は内心狼狽しつつも平静を装い、姿勢を戻す。
「いえ、人が多いなって思って…。」
「話題の映画ですからね。あまりキョロキョロしてると恥ずかしいですよ。」
「はあ…。」
 窘められて、ばつが悪そうに鼻を少し掻いた。考えてみれば、確かに少しみっともない。
 瞳子を見てみると、手で露出した二の腕部分を摩っている。
 可南子に比べて露出が多いこの格好、クーラーの効いた屋内では少し寒いだろう。
 そう思って羽織っていたシャツを一枚脱ぐと、それを瞳子へと被せた。
「そんな格好じゃ寒いでしょう。羽織ってください、風邪引きますよ。」
 可南子からそう言われて、瞳子は少し照れくさそうにそのシャツを羽織る。
「ありがとうございます。正直、ちょっと寒くて。」
 瞳子がシャツを羽織るのを見て、可南子は少しだけ安堵した気分になった。
 これで瞳子の肌の露出部分を隠せて、男達の視線を少しは遮断する事が出来るかもしれない。
 映画が始まれば会場は暗くなるので肌を見られることはあまり無いだろうけど、可南子にはどうしても気になってしまうのだった。
 瞳子がシャツを羽織ったところでブザーが鳴り、照明が落とされてスクリーンに映像が映し出された。
 二人は姿勢を正し、その映像を見始めた。


「暗い映画でしたけど面白かったですね。エンディングの曲にも聴き入っちゃいましたし。」
「そう…ですね。ちょっとグロテスクなシーンもありましたけど…。」
 映画は二時間ほどで終わり、今は映画館の近くにあった喫茶店で感想を言い合っている。
 瞳子の前にはアイスティー、可南子の前にはブラックのアイスコーヒーが置かれている。
 映画の内容は、人の夢に入れる能力を持つ青年が夢の中に入り、連続殺人犯を退治するというものだった。
 はっきり言ってB級物だが、その独特の雰囲気や展開が瞳子は気に入ったようだ。
 上映中、瞳子はかなり集中して見ていたのだが可南子は周り…つまり男性が気になって今一つ集中して見入る事が出来なかった。
 憶えているのは映画の中で被害者が殺される所や、中盤での正気を失った役者の狂った演技部分など、断片的にしか憶えていない。
 せっかくお金を払ったのに、少し損をした気分だ。そう思いながらコーヒーを一口飲んで息を一つ吐く。
「ただ主役の女刑事が少し棒読みっぽく感じましたけど。そう感じませんでした?」
「え…ええ、確かに。」
 不意に瞳子から話を振られて、言葉を濁して誤魔化した返事をする。
 そう言われてもそんな演技の上手下手を見極めるほどしっかり見ていないので曖昧にしか答えようがない。
「…それより、これからどうしますか? 予定とか決めてませんでしたよね?」
 これ以上話を続けるとボロが出そうで、慌てて話題を切り替えさせた。
 これからどうするか聞いているものの、可南子の中ではこれから可南子の家で過ごすという予定が半ば決定している。
 そんなあまり意味の無いような質問を受け、瞳子は少し考える素振りをする。
「確かに決めてませんでしたね…どうしましょうか。」
「それじゃあ、私の家に来ませんか? 外を歩き回るのも暑いですし。」
 瞳子の返事を聞いて、もっともらしい理由付けをしてすかさずそう言った。
 素早く返ってきたその返事に瞳子は少し驚きつつ、「それもそうですね」答えた。
「決定。早速ですけど、もう行きましょう。店も混んできましたし。」
 瞳子の答えを聞いてそう返すとコーヒーを飲み干し、続いて瞳子もアイスティーを飲み干す。
 それを確認してから可南子が領収書を取って立ち上がり、精算をすると混み始めた喫茶店を後にした。
 外に出た途端、ムッとした熱気が体を包み込んだ。
 クーラーで冷えた店内から熱せられたアスファルトの熱気による気温変化はかなり大きく、正直言って辛い。
 ほんの数メートル歩いただけでも汗が額に浮かんできて、それはいくらハンカチで拭ってもすぐに汗ばんでくる。
「本当に暑い…堪らないわね。」
「日傘でも持ってくるべきでした…。」
 汗を拭いながらそう呟いて、それに瞳子が続いて言った。
 空を見れば青々と晴れた中で、太陽が元気良く強烈な太陽光線を浴びせている
 これだったらあんな夢を見なかったとしても、クーラーをつけた自分の部屋で一緒に過ごしていたかもしれない、そう思えた。
「そう言えば瞳子さん、そんな格好して日焼けとか大丈夫なんですか?」
「日焼け止めは付けてきました。でも、これだけの陽射しだとちょっと負けそうですね。」
「そんな事言って、普通よりも性能が良いのを使ってるんじゃないですか?」
「いえいえ、普通の日焼け止めですよ。」
「本当ですか?」
「そうですよ。今度見せて差し上げます。」
「それでは参考にさせて頂く事にしましょうか。」
 他愛もない事を話しながら歩き続ける。どれも大した内容ではないのだが、こうやって話すだけでも楽しいものだ。
 そうやって歩いていると、不意に正面から歩いてくる男性に気が付いた。
 その姿を確認した時、可南子の表情から笑顔が消えていった。
 柏木。
 よりによって一番会いたくない心の状態の時に、一番会いたくない人と出くわしてしまった。
 慌てて柏木が来る方から目を逸らして気付かれないようにしたが、何しろこちらは高身長の女性と縦ロールの髪の女の子。
 はっきり言って目立つ組み合わせだ。向こうも当然の如く気付いて、気障ったらしい笑顔を浮かべながらやって来た。
「あら、優お兄さま?」
 瞳子は柏木に気が付いていなかったようで驚いていた。
「やあ瞳子。それにこんにちは、可南子ちゃん。」
「…はあ、こんにちは。」
 少しうんざりしながらも無視するわけにもいかず、渋々ながらも挨拶を交わす。
 可南子の心情も露知らずに柏木は気に障る(可南子にとっては)笑顔のままだ。
「奇遇だねこんな所で。二人は目立つからすぐ分かったよ。」
「本当。何してたんですか?」
「大した用事は無かったんだけどね。ちょっと暇潰しに散歩してたんだけど、こう暑くっちゃ失敗だったかな。」
「全く、こう暑くてはね。」
 ハンカチで汗を拭いながら柏木が言い、それに瞳子が笑顔で相槌を打つ。
 その二人を可南子は苛立ちながら眺めていた。どこか楽しそうに会話をする二人が、どうにも面白くない。
 それと同時に、柏木に対しての嫌悪感も増していく。夢の中での二人が頭を過ぎる。
 瞳子さんは私の恋人なのに、男のあんたがそんな親しく話をするな。そんな男と楽しく話をするな…。
 声を荒げて、そう言いたかったが声を心で押し止めた。
 やがてこれ以上柏木と付き合いたくなくなり、その場から離れようと瞳子の腕を取った。
 瞳子はいきなり腕を掴まれた事に少し驚きながら、可南子の顔を見上げる。その顔からは不機嫌というのが見て取れた。
「さあ、早く行かないと間に合いませんよ。」
「か、可南子さん? 間に合うって何が…。」
「いいから早く。柏木さん、すいませんが失礼します。それでは。」
 おざなりな挨拶をし、今一つ可南子の言動が理解出来ていない瞳子を半ば強引に連れてその場を後にした。
 柏木は可南子の態度が気になり、首を傾げながらその二人を見送った。

 可南子は瞳子を連れて、後ろに柏木の姿が見えなくなっても早足のまま歩き続けた。
 一方、瞳子は相変わらず可南子が不機嫌な訳が理解出来ず、同時に柏木にあんな態度を取った事に少しずつ苛立ってきた。
「可南子さん私が何かしましたか? 何を怒ってるんです?」
「別に怒ってなんかいませんよ。ただ先を急ぎたいだけです。」
「だからって何であんな態度を取ったんですか、ちゃんと説明してください。」
 そこまで言い切ると瞳子は可南子から強引に腕を払った。
 怒りを露にしている瞳子の表情を見て、可南子は手で頭を押さえて溜息を吐いた。
 別に瞳子を怒らせるつもりなんて無かったのに。
 でも考えてみれば、親しい人に対してそんな態度を取られたら誰だって頭に来るだろう。
 例え、それが可南子の嫌いな人でも。
 しかしそれと同時に、瞳子が柏木を庇った事に少なからずの落胆を感じた。
 何で柏木を庇うのかと、理屈が通っている当然の事を心が認めようとしない。
 もう一度深い溜息を吐くと、瞳子と向き合って口を開いた。
「…あれ以上話をして欲しくなかったんです。」
「何でですか。私と優お兄さまが親しいって事、可南子さんだって知ってるじゃないですか。」
「それはそうなんですけど…とにかく、嫌だったんです。」
「それじゃ説明になってません、もっとしっかりと教えてください。」
「だから…。」
 話を続けようとしたが、通行人が自分達の方を見ているのに気が付いて口をつぐんだ。
「…とりあえず、私の家に行きましょう。続きはそれからです。」
 ここでは落ち着いて話が出来ない、そう判断して瞳子を促す。
 それに対して瞳子は不服ながらも頷き、二人は無言のまま再び歩き始めた。

 しばらくして可南子の家に着き、二人は今、可南子の部屋で小型テーブルを挟んで向かい合っていた。
 その前には麦茶の入ったグラスが置かれていて、口の付けていないその上面は溶けた氷で色が薄まっている。
「…それでは、説明してくれますね。何であんな態度をとったのかを。」
 最初に瞳子がそう言って、可南子は少しだけ顔を上げて瞳子の顔を見た。
 その顔は不機嫌丸出しで、可南子は目を閉じて心を整理させると口を開く。
「…私が男嫌いだったというのは知ってますよね。」
「ええ。」
「それも、お父さんと和解してから少しは収まった事も…。」
「…はい、知ってます。」
 可南子の家庭環境の事を思い出してか、瞳子は少し表情を苦くして相槌を打った。
「…だけど、今日は少し前の自分に戻ってしまったみたいで…。」
「前の自分…前みたいに男性が嫌いになった、という訳ですか?」
 瞳子の答えに黙って頷いた。
「何でそんな急に? 何かあったんですか?」
 そう言われて可南子は少し押し黙り、溶けた氷で味の薄くなった麦茶を一口飲んでから話し始めた。
「…嫌な夢を見たんです。」
「夢?」
「はい。瞳子さんが私に別れを告げて、柏木さんに嫁いでいくという夢を…。」
「なっ…そんな夢を見たんですか?」
 まるで心外だ、といった様子で瞳子は聞き返してきた。
 それにばつが悪そうに頷く。
「それだけで優お兄さま…男の人をまた嫌いになってしまったんですか?」
「それもあります。…それに、瞳子さん…夢の中の瞳子さんが言ってたんです。女同士じゃ幸せになれないって…。」
「女同士じゃ幸せになれない…って…。」
「…世間から見れば同性愛はイレギュラーだって…瞳子さんが言ってたんです。
…だから瞳子さんがそれに気付いて、私と別れて柏木さん…男の人と付き合うんじゃないかって不安に…。そう思うと…どうしても…。」
「…そう…。」
 理由を聞いて納得したのか、悲しいとも呆れとも取れるような表情をして瞳子は目を伏せた。
 その様子を見て、可南子は瞳子が自分達の関係が世間的に普通でない事を悟ってしまったのではないかと、また不安になってしまった。
 瞳子の隣に移動し、手放したくないという想いからその小さな体をそっと抱き寄せた。
「…例え世間から見て普通じゃない関係だとしても、私は瞳子さんを手放したくない。…ずっと、一緒にいたい…。」
「可南子さん…。」
 不安と怖さで溢れそうな涙を堪えながら囁くように言ったその台詞を聞いて、瞳子は可南子の手にそっと自分のそれを重ねた。
「…可南子さんのばか。」
 ばか、と言われて瞳子の顔を見ると、馬鹿と言う言葉とは反対な、優しい瞳子の目と目が合った。
 少し微笑んで可南子の顔を見つめると、自分から可南子へと体重を預ける。
「…同性愛が世間的に普通じゃないって、私は前から気付いてましたよ。」
 さも当然のように言ったその台詞を聞いて、可南子は意外といった表情をした。
 普通じゃないと言う事を承知して、瞳子は自分と付き合っていたという事か。
「それでも私は構わない。じゃなかったら、恋人なんかになりませんよ。」
 少し照れくさそうに顔を赤くしながらも言った台詞に、可南子は黙ったまま頷いた。
「それに、前言ったじゃないですか。いざとなったら可南子さんと逃避行するぐらいの覚悟は出来てるって…覚えてますか?」
「…はい、しっかり覚えてます。」
 忘れるはずがない。以前デートをドタキャンされた日に電話で言ってくれた、あの台詞。
「半端にしか愛してなかったら、あんな事言えませんよ。…私だって、可南子さんを手放したくないんですから…。」
「瞳子さん…。」
「だからそんな心配しなくても大丈夫です。…それでも不安なら私を守ってください。不埒な狼達から。」
「狼、ですか。」
 少し冗談めかしたその表現に、可南子は少しだけ笑った。それにつられるように、瞳子も少しだけ笑う。
「分かりました。私が瞳子さんを狼達から守ってみせます。」
 可南子はそれだけ言い切ると、瞳子の巻き髪をそっと撫でてから優しいキスを落とし、更に抱きしめる腕に力を入れた。
 瞳子は少し苦しそうにするものの、今日の可南子の事を思ってかあまり逃げようとしない。
「まだ少し不安が残ってますか?」
「…正直、まだ完全には拭いきれてないかも…。」
「しょうがないですね。じゃあ可南子さんの気が済むまで、ずっとこうする事にします。」
 そう言って、照れ隠しの苦笑いを浮かべつつ瞳子からも可南子の首に腕を回して密着度を増してきた。
 普段以上に積極的な瞳子に若干驚きつつも、それが愛しくて嬉しかった。

 お言葉に甘えて、もう今日は何するでもなくずっとこうしていよう。
 この不安を消して、瞳子の体温と感触がずっと離れないという事を確信しておく為に。

 お互いが心と心を通い合わせるかのように無言で抱きしめ合う、そんな音の無い部屋に麦茶の氷が溶けてカランと音を立てた。
あとがき:

 こういう百合やBLの世界では特に問題にされないことに対して、あえて向き合わせてみました。
 でも結局いつものラブ物と全然変わらず…まあラブい二人が書けて楽しかったから良いや(アバウト)
 最初の構想では曲のイメージに合わせて18禁な展開になるつもりでしたが、可南子のイメージに合わないので見送り。
 えっ、そっちのが良かったですかw?
 ちなみに二人が見た映画は「悪夢探偵」という裏設定。

 SSモデル曲:狼(ポルノグラフィティ)
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