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長かった夏休み――とは言え山百合会の仕事で半分ぐらい潰れたけど――も今日で最終日。 宿題は全部終わってあるし今日は山百合会の仕事も部活も無い、そんな最終日の午後。 由乃は祐巳や志摩子と共に遊びに行ってしまったし、明日からは学校でまた忙しくなる。 だから今日はゆっくり過ごしておこうと、まだ読んでいない新刊の文庫本に読みふけっていた。 やがて半分まで読んだ頃、不意に部屋の扉をノックする音がして読むのを一旦中断する。 扉の方を向くと同時に扉が開かれ、母が顔を覗かせてきた。 「令、蓉子さんから電話よ。」 「えっ…蓉子さまから?」 こんな時間に掛かってくるのは珍しくて、思わずもう一度聞き返してしまった。 最近は山百合会の会議で忙しかったし、蓉子も何だか忙しいらしくお互い予定が噛み合わなくてまともなデートも出来ていなかった。 その為最近は電話でのコミュニケーションが二人の繋がりの大半を占めていた。 それもお互いが唯一自由な時間となる、夕方から夜の間が多い。 でも今はまだ昼過ぎ。内心少し驚きつつも電話機の前に行き、保留状態を解除して受話器を取った。 「もしもし、蓉子さま?」 『令? ごきげんよう、蓉子よ。』 受話器越しに聞こえた声は確かに蓉子のものだ。 「ごきげんよう。珍しいですね、こんな時間に電話してくださるなんて。」 『いつも夕方ぐらいに電話してたからね。ひょっとして、そっち忙しかったかしら?』 「いえ、暇つぶしに本を読んでただけです。今日は何の予定もありませんから。」 『そう、ちょうど良かった。久々にこれからちょっと出掛けない?』 「今からですか? もちろん喜んで。」 突然の誘いに驚いたが、それ以上に久々に会える事になってそれが嬉しく誘われる事にした。 「それではどこで待ち合わせましょうか。いつもの駅前で…。」 途中まで言ったがそれを遮るように、向こうから話が割り込んできた。 『ううん、私がそっちに迎えに行くから、令は家で待っていて。』 「蓉子さまが家に?」 『ええ。十分ぐらいで着くと思うから、出掛ける準備だけしておいてね。』 「分かりました。」 それだけ話すと蓉子が「それじゃあ待っててね」とだけ言って電話を切り、令も受話器を戻した。 蓉子にしては珍しく一方的にあれこれと決めてきた事を少し不思議に思いつつ、母に出掛ける事を伝えて部屋に戻って着替え始めた。 着替え終わって十分もしないうちに家のベルが鳴り、令が玄関の戸を開けると久々に見る蓉子の姿がそこにあった。 「ごきげんよう、蓉子さま。久しぶりですね。」 「確かに久しぶりね。もう用意は出来てる?」 その問いかけにはい、と頷いて蓉子が母と挨拶をしてから二人は家を後にした。 蓉子の姿は、当たり前だけど何の変わりも無い。ボブの髪型もいつもの大人っぽい顔付きも最後に会った時と同じだ。 だけど、令は歩きながらその姿をじっと見つめていた。久々の再会という事もあってか、何だか感慨深いものが心の中に広がっていく。 そうしていると不意に蓉子がこちらを向いてきて目が合い、それが何だか可笑しくてお互いに少し笑った。 「そう言えばどこに行くんですか? まだ何も聞いてませんけど…。」 「どこに行くって…まあ、気分に任せて、とでも言っておきましょうか。」 「何ですかそれ。」 少し悪戯っぽい笑みを含んだ様子でそう言われて、令は少し苦笑いを浮かべて聞き返す。 しばらく歩いていくと小さい駐車場があり、蓉子は何の躊躇いもなくそこへと歩いて行ってしまった。 「あれ、蓉子さま?」 駐車場は関係無いと思っていた令は、蓉子が駐車場に入っていった事に驚いて足を止める。 その様子に気付いて蓉子は手招きをし、令も促されて駐車場を進んでいった。 やがて蓉子がキーを取り出し、若葉マークの付いているワインレッドカラーの車の鍵を開けて、令は思わず目が点になった。 驚いている令に、蓉子は含み笑いの表情で財布から一枚のカードのような物を取り出すとそれを令に手渡した。 「実はね、免許証とったのよ。驚いた?」 言われて手渡されたカードを見てみると、それは確かに蓉子の顔写真も写っている免許証だ。 「本当だ…じゃあこの車、蓉子さまのですか?」 「車はお母さんのよ。さすがにそんなお金は無いわ。」 令が蓉子に免許証を返すと、蓉子が先に車に乗り込みそれに倣うように令は助手席に乗り込んだ。 初めて蓉子の車に乗ると言う事で令は少なからず緊張しており、少しぎこちない動作でシートベルトを締める。 ギアの部分を見て、初めてこの車がオートマチックだと言う事が分かった。 「ミラー良し、ハンドルの位置良し、座席の位置良し…と。」 隣を見ると蓉子が座席やバックミラーなどのチェックをしている。 指差しで一つ一つ確認している所が蓉子らしかった。全部のチェックが完了すると、キーを差し込んでエンジンを起動させる。 エンジン音と同時に車が揺れだした。 「そう言えばいつの間に免許取ったんですか?」 「ちょうど一週間前よ。夏休みを使って自動車学校に通ってたの。」 「それで忙しかったんですか? それならそうと一言ぐらい言ってくだされば良かったのに…。」 蓉子が教えてくれなかった事に、少し拗ねた様子で頬を膨らます。 そんな令が可笑しくて、蓉子は少し笑いながら令の頭を撫でてごめんなさいと言った。 「令を驚かそうと思って。驚いたでしょう?」 「そりゃあ驚きましたよ。もう、子どもっぽい所があるんだから…。」 付き合い始めて、蓉子は時々令に子どもっぽい一面を見せる事が時々ある。 普段の大人びた姿とは違うその一面が、ギャップとなって余計に可愛らしく感じられた。 それにこの一面は令にしか見せない、それが令は嬉しかった。 「それで、どこに行きます? 気分に任せてと言ってましたけど。」 「うーん…じゃあ、海でもいい? ちょっとドライブに。」 「海ですか? 水着とか持って来てないんですが…。」 「いいのよ水着なんか。泳ぐつもりは無いから。」 そこまで言うと蓉子はギアを切り替えて、車を発進させる。 蓉子は落ち着いた様子で車をゆっくりと動かし、そのまま駐車場から出て行った。 「令、ダッシュボードの中に地図があるから、それでナビしてくれない?」 蓉子に言われてダッシュボードを開けると言うとおり地図が入っていて、それを取り出し広げる。 自分の住んでる地域を出そうとしたが、そのページの角は折り込んでありすぐに見つかった。 あらかじめチェックしていたのだろうか。 「この車ってナビ付いて無いんですか?」 「お母さんは結構地理に詳しいから、地図だけで十分だって付けてないの。」 「蓉子さまは大丈夫なんですか?」 「大体ね。でも、もし間違ってたら教えてね。」 「分かりました。」 令が地図を確認しながら答える。今のところ道は間違っていない。 カーステレオからは落ち着いた雰囲気の曲が流れてきていて、穏やかな雰囲気が車内を包んでいた。 蓉子の運転は彼女の性格通り落ち着いていて安全第一、初心者だと言うのをふっと忘れてしまえるぐらい安定している。 スピードは遅過ぎず早過ぎず、無理な割り込みも右左折も無い。 「運転上手ですね。初心者だとは思えないくらい。」 「そう? まあお父さんと一週間はこの車で運転の練習してたからね。」 「練習してたんですか? だったら私がお付き合いしたのに…。」 「駄目よ。まだ慣れてない車の運転で、あなたを危険な目に遭わす訳にはいかないじゃない。令には安心して乗って貰いたかったの。」 「う…。」 そう言われてしまっては反論のしようも無く、少し照れくさくなったと同時に嬉しくもなった。 つまりは令の為に練習してきたという意味にもなる。蓉子の顔を見てみると、少し頬が赤みを帯びているのが見えた。 この暑さだけではなく、さっき言ったのが令と同じように少し照れくさいのだろう。 何となく気恥ずかしくなりお互いに少し押し黙って、令は気を紛らわそうと何となく窓を開けた。 開けた窓からは秋の近付いた少し涼しい風が吹き込んでくる。温暖化温暖化と騒いでいるが、こういう所は季節を感じられる。 令が窓を開けると、それに倣うようにして蓉子も窓を開いてクーラーを切った。涼しい風が一層車内に入ってくる。 「クーラーよりこっちのが気持ちいいわね。」 「そうですね。」 確かにクーラーによる硬質的な冷たさよりも、この自然な涼しさの方が心地良い。 特別暑くない今日みたいな日は特にそう感じる。 やがて信号に引っ掛かると、蓉子が「そうだ」といってボタンを一つ押した。 令が何だろうと思っていると光が差し込んできて、思わず天井の方を見た。 見てみると、天井が少しずつ開いていっている。 「ああ、サンルーフですか。」 「そ。こうした方が風がよく入るから。」 蓉子がそう言ったのと同時に青信号に変わって車が動き出した。 やがてスピードが出てくると、蓉子の言うとおり風がサンルーフからも入り込んできて気持ちが良い。 陽射しもそう強くなく、心地良いぐらいの強さだ。その心地良さに身を任せ、目を細めて窓の外を眺めた。 ゆったりとした雰囲気が車内を包み込んで、穏やかな沈黙が二人の間に流れていく。 どれぐらいそうしていただろうか、吹き込んでくる風の中に潮の香りが混ざってきている事に気が付いた。 辺りを見回してみたが建物が邪魔をして、海はまだ見えない。 代わりに建物の看板には「釣り餌」や「釣具」といった文字が書かれていて海が近くにあるという事を知らせてくれる。 「海の匂い…。もうすぐですか?」 「あとちょっと。もう十分も掛からないわ。」 蓉子がそう言ったとほぼ同時に連なっていた建物が切れて、港が目の前に広がった。 釣りをしている人や、海上ではジェットスキーをしている人達が見える。 その景色を眺めながら車は進んで行き、しばらくして次に砂浜が現れた。 とは言えもう八月の末日、泳いでる人は全然見えない。太陽で輝く海面と砂浜だけが見える。 「やっと着いたわ。あそこよ。」 「あそこですか?」 目指していたのはあの無人の砂浜だったようだ。結局道に迷う事も無く、令がナビをする事は一度も無かった。 それから海水浴場のすぐ近くに駐車場があり、そこに車を停めようと入っていった。 駐車場もガラガラで、適当に空いている場所を見つけてそこへ車を停める。 「ふー、疲れた…。やっぱり緊張するわね。」 エンジンを切って鍵を抜き取ると、心底安堵したように溜息交じりで蓉子が言い、それから車から出たので令も外へ出た。 座りっぱなしで固くなった体を軽く解す。腕時計を見てみると三時の少し前だ。大体一時間とちょっとのドライブだった事になる。 砂浜に下りてよく見てみても、相変わらず無人でひっそりとしている。海の家だってもう今年は開く様子が無い。 「誰もいませんね。前に由乃と行った時はまだ人がいっぱいいたんですけど。」 「あら、由乃ちゃんと海に行ったの?」 「ええ。こことは違いますけど。」 「じゃあ、海じゃなくて他の場所にすれば良かったかしら?」 令の台詞を聞いて、蓉子が申し訳無さそうな表情を浮かべて聞き返してきた。 それを見て、令は微笑み優しく蓉子の手を取った。 「そんな事ありませんよ。蓉子さまが誘ってくださったなら、私はどこでも喜んで行きます。」 令がそう言うと蓉子の表情明るくなり、同時に少し赤くなった。 「よくそんな恥ずかしい事言えるわね…。…嬉しいけど…。」 「私は思ったままを言っただけですけど?」 照れる蓉子に少し笑って言い、その手を離さずに腰を下ろした。蓉子も釣られて隣に座る。 海の果てに広がる水平線から潮風が吹き付けてきて潮の匂いが鼻に広がり、耳には波の音が響く。 それ以外にはほとんど音がしない、のんびりした空間だ。 「こうやってのんびり過ごすの、久しぶりですね。」 「そうね。会うのも久々だったけど。」 「山百合会も忙しかったからあまり出掛けられなかったけど、夏休みの終わりを蓉子さまと過ごせてよかったです。」 「…私も。」 そう言い切ると蓉子は令にもたれ掛かってきて、令も同じように蓉子にもたれて身を預ける。 繋いだ手を離し、代わりに腕を組んで密着度を少し増やした。 初めは腕を組むのではなく蓉子の肩に手を回そうとしたのだが、さすがに気恥ずかしくなって出来なかった。 潮風と蓉子の体温の心地良さに身を任せていると、やがて少しウトウトしてきてしまった。 ウトウトしたまま目を閉じようとしたら、不意に体を預けていた蓉子が立ち上がった。 不意にもたれていたのが無くなり、令は驚いてバランスを崩し慌てて砂浜に手を付いた。 「ずっとこうしてるのも勿体無いから、少しぶらついてみない?」 「あ…そうですね。」 頭を振って眠気を払い、蓉子の提案に賛成して立ち上がった。 それを確認すると蓉子が先に歩き出して、令がその隣へと追いついてそのまま波打ち際へと向かう。 靴で来ているので海の中に入るわけにも行かず、波打ち際に沿って歩いていく。 「この海岸は綺麗ですね。ゴミも落ちてませんし。」 「地元の人以外はあまり来ないみたいだから。シーズンは過ぎちゃったけど、ここだったらゆっくり泳げるかもね。」 「それじゃあまた来年、ここへ海水浴に来ましょうよ。」 「ええ。その時には、令に可愛い水着選んであげないとね。」 「気が早いですよ。でも、楽しみにしてます。その時は蓉子さまの水着も選んであげますから。」 「お願いするわ。だけど、あんまり少女趣味じゃないのにしてよ。」 「えー、似合うと思うんですけど。見てみたいですね。」 「もう、からかわないで。」 蓉子が拗ねてそっぽを向く、その様子がおかしくて可愛くて、思わず吹き出しそうになってしまった。 だけどこれ以上刺激するのもどうかと思って、何とか喉奥で押し止める。 「拗ねないでくださいよ。ジュース奢りますから、機嫌直してください。」 「いいの? それじゃあ、コーヒーがいいわ。」 「分かりました。では、ちょっと行って来ますね。」 そう言うと小走りで駐車場にあった自販機へと駆け寄っていく。 自販機で蓉子用のコーヒーと自分用のスポーツ飲料を買って蓉子の下へと戻っていった。 戻ってくると、打ち上げられていたと思われる棒で蓉子が砂浜に何か書いている。 「ただいま…何書いてるんですか?」 「おかえりなさい。退屈だったから、ちょっと落書き。」 蓉子にコーヒーを手渡し、何を書いていたのだろうとその落書きを見た。 そこには傘のような物を挟んで右側には令、左側には蓉子の名が書かれていて…それはまさしく相合傘そのものだ。 それが分かると令は少し照れくさくなり、苦笑いを浮かべて頭を少し掻いた。 「どう? 令。」 「どうって…こうして書かれると、少し照れくさいですよ。」 「照れくさい? 嬉しくなかった?」 「いえ、嬉しいです。…けど、やられると少し恥ずかしいですね。自分からだと割と平気なんですけど。」 「そういうものかしら。…キャッ!」 突然蓉子が短い悲鳴を上げ、同時に令の足元にも冷たい感触が来て慌てて砂浜へと引き上げた。 さざ波が二人がいる所まで来ていて、それに気付くのが遅れてしまったのだ。 慌てて逃げたものの、足首から下は完全に海に浸かってしまった。 「びっくりした…急に来ましたね。」 「本当。…ああ、消えちゃった…。」 少しガッカリとした様子で蓉子が言い、その目の先を見るとあの相合傘は当然の如く波によって消されていた。 「結構気に入ってたのに…。」 「別にいいじゃないですか。相合傘が無くたって、私はここにいるんですから。それに、私達の想いはあんな簡単には消えませんよ。」 気落ちしている蓉子の肩に手を置いて、励ますように言った。 それで気を持ち直したのか、蓉子は笑って令の手に手を重ねて握り返した。 「当たり前じゃない。…それにしても、さっき令が言っていたとおりね。」 「何がです?」 「あなたって、クサイ台詞が自然と出てくるわね。恥ずかしくない?」 「クサイ、ですか? 意識して無いんですけど…おかしいですか?」 「…ううん、あなたが言うとよく似合ってる。」 じっと見つめられたままそう言われて、令はまた恥ずかしくなって顔が少し熱くなっていくのを感じた。 本当、向こうからやられると自分は弱いな、と思う。 それから二人は令が買ってきたドリンクを飲みながら砂浜を適当に散策して行った。 「あ。」 散策していると同じような貝殻が二つ、落ちているのを見つけた。 それを拾い上げ、一つを蓉子に手渡す。割れていないし、色も綺麗だ。 「綺麗な貝殻。素敵ね。」 「蓉子さま、聞いたことありませんか? 貝殻を耳にあてると波の音がするって。」 「そういえば、そんな事聞いたことあるわね。」 「試してみましょうか。」 令が先に貝殻を耳にあて、続いて蓉子も耳に貝殻をあてる。 「…どうですか?」 「どうって…海の真ん前じゃ良く分からないわ。」 「言われてみれば、そうですね…。」 確かに聞こえたような気がするが、それは海から聞こえるものなのか貝殻によって聞こえるものなのか、ここでは判断しがたい。 苦笑いを浮かべたまま、貝殻を耳から取った。 「帰りの車で試しましょう。そっちのが確実ですね。」 「そうね。でもこの貝、ちょうどよく二つ揃ってたわね。」 「寄り添うように並んでたんですよ。ひょっとしたら夫婦だったのかもしれませんね。」 「貝の夫婦? 何だかおかしいような夢があるような、よく分からないわね。」 「そうですか? 私は素敵だと思いますけど。その方が私達にピッタリじゃないですか。」 「つがいの貝殻をカップルがそれぞれ持って…確かに、そっちのがロマンチックね。」 ね? と令が言うと蓉子も頷き、この夏の一つの思い出としてその貝殻をしまった。 それからも砂浜でブラブラしていると日も大分傾き、辺りが茜色に染まり始めた。 赤く輝く夕日が海上に浮かんでいて、とても美しい光景だ。 「令、そろそろ帰りましょうか。」 「もうですか?」 「もうそろそろ帰らないと夜になるわ。帰りがあまり遅くなったら、親御さんに迷惑でしょう。」 「そう…ですね。行きましょうか。」 もう少しここで蓉子と二人きりでいたかったのだが、わがままを言って困らせるわけにもいかない。 名残惜しそうにしながらも蓉子に従って砂浜から駐車場へと戻っていく。 車に乗り込む際に砂浜を見てみると、二人の足跡だけがそこに残っていた。 「シートベルトは締めた? じゃあ行くわよ。」 令がシートベルトを締めたのを確認すると、車はゆっくりと走りだして駐車場から出ていった。 あと少しで今日は分かれないといけないと思うと寂しくなる。 蓉子の横顔を眺めながら、このまま時が止まればいい、そんな事を少し思った。 やがて車が見慣れた市街に戻ってくると、令の願いが通じたのかいつもこうなのかはともかく、渋滞に引っ掛かった。 時間帯からして帰宅ラッシュだろう、車はなかなか進まない。 「完全に引っ掛かっちゃったわ。この分だと、結構遅くなっちゃうかも…ごめんなさいね、令。」 「かまいませんよ。のんびり行きましょう。」 渋滞を気にするでもなく、微笑みながら蓉子を気遣う台詞を掛ける。 普通ならイライラする渋滞も、蓉子と過ごせる時間が増える事によってむしろ喜ばしく感じる。 「あ、そう言えば貝殻を試すのを忘れてました。」 貝殻のことを思い出し、それをポケットから取り出して耳に当てる。 目を閉じて耳に神経を集中させて、音が聞こえてくるのを待った。 「…あ…聞こえて来た…。」 しばらくすると波の音が本当に聞こえて来た。噂には聞いていたが本当の事が分かって少なからず感動してしまう。 まるであの砂浜にいるような、そんな情景が目の前に浮かんでくる。 「本当? 私にも聞かせてくれない?」 ハンドルを握ったままの蓉子に言われて目の前を現実に戻し、持っていた貝殻を蓉子の耳にあてる。 渋滞とは言え運転中ということもあって目は瞑らないが、耳に意識を集中しているのが令には分かる。 「本当だ、波の音がする。」 蓉子にも波の音が聞こえ、感慨深い様子でそう言った。 それとほぼ同時に前の車が進んだので、令は貝殻を蓉子から戻して元に戻した。 車は少し進んだものの、ほんの車一台分ぐらいしか動いていない。 「令、ハンドバッグの中に携帯があるから、親御さんに遅くなるって連絡しておきなさい。」 「大丈夫ですよ。蓉子さまと一緒だって事は分かってるはずですし。」 「ダメよ、この分だとまだ掛かりそうだから、電話でそう知らせておいて。こんなに遅くなるとは思わなかったから。」 「分かりました。」 大人な意見を聞いて確かにその通りだと思って、蓉子のハンドバッグから携帯を取り出して家に電話を掛けた。 こういった所は、まだまだ考えが浅くて子どもだなと感じてしまう。それと同時に蓉子は自分よりずっと大人だ、とも感じた。 電話で渋滞に引っ掛かって帰りが遅くなると言う旨を伝えると携帯を戻した。 「怒ってなかった?」 「全然。蓉子さまがいるなら安心だって言ってましたよ。」 笑いながらそう言い、蓉子も釣られて少し笑った。 車は相変わらず動かないが、蓉子といられるなら一時間でも二時間でも構わない、そう思う。 それは蓉子さまも同じだろうなと、自惚れにも近い物を蓉子の横顔を見て感じた。 だって、蓉子の表情からはイライラしているものが感じられなかったから。 渋滞はそれから一時間ぐらい経ってから抜ける事が出来、行きの二倍近く時間が経ってしまった。 時計はもう七時過ぎ、日は完全に沈んで辺りはもう真っ暗だ。 もうすぐ自分の家に着く、そうしたらまた別れないといけない。そう考えると少し寂しくなった。 「迷惑掛けたわね。こんな時間まで付き合わせちゃって。」 「迷惑だなんてとんでもない。今日はとても楽しかったですよ。」 「そう言ってくれてありがとう。私も楽しかったわ。」 それからすぐに令の家に着き、令は渋々ながらも車から降りた。 令が降りると蓉子も車のエンジンを切って降りてきて、令は少し驚いて蓉子の方を振り向いた。 「遅くなっちゃったからご両親に謝らないと。」 蓉子がそう言ったので令はそうですか、と返して家の呼び鈴を押した。 しばらくすると母親が玄関から出て来た。 「お帰り、令。あらまあ、蓉子さんまで。」 「遅くなってすいません、おばさま。渋滞に引っ掛かって遅くなってしまいました。」 「大丈夫よ、電話もあったことだから安心して待ってたわ。蓉子さんも一緒だったから尚更ね。」 「そう言って頂けて安心しました。それでは、失礼します。」 蓉子は母にお辞儀をして車に戻り、エンジンを掛けた。 「お母さん、見送るから先に家の中戻ってて。」 母にそう言うと、母は言われたとおりに家に戻って行き、令は蓉子がいる運転席へと近付いていった。 運転席の前まで来ると窓が開いて蓉子が顔を出した。 「今日はありがとうございました。良い最終日を過ごせました。」 「こちらこそ。また明日から、学校も山百合会も頑張ってね。」 「はい。…それでは。」 辺りに誰もいないことを確認すると、目を閉じて運転席にいる蓉子にお別れのキスをする。 それが終わると「じゃあね」と蓉子が手を振って走り去っていった。その去り行く姿をじっと見送った。 家に戻って夕食を食べて風呂に入って、自分の部屋でベッドに横になった。 肌を見てみると、やはり結構日に焼けていた。 「今日は楽しかったな…。」 ベッド棚の上においてある貝殻を取って、もう一度耳に当てる。 しばらくして波の音が聞こえてきて、今日の出来事が浮かんできた。 夏休み最終日に良い思い出が作れて良かった。心の底からそう思う。 (明日から学校か…。また頑張ろうっと…。) 目を閉じてウトウトしたままそう心の中で言って、疲れからかそのまま眠りに落ちていった。 貝殻から聞こえる、波の音をBGMにして。 あとがき: 調子に乗って令蓉第二段。このカップリングはは平和な感じで良いね。 あと蓉子さまは令ちゃんの前限定で精神年齢が少し下がると良いと思う(痛い発言) 最初はまだ色々あるつもりだったけど相合傘の地点でかなり恥ずかしくなって断念。 浜辺で追いかけっことか、どこぞの昭和チックな少女漫画かと。 SSモデル曲:夏の終わり(plane) |