moon face
 時刻は午前3時過ぎ。
 そんな時間に目が覚めた由乃は、隣で眠っている乃梨子を起こさないようにして気だるげな体を起こす。
 窓の外を見ればそこには半月がぽっかりと浮かんでおり、月光が暗い部屋を薄明るく、それでいて幻想的に浮かび上がらせていた。
「…う…ん…。…由乃さま…?」
 ボーっと月を眺めていたら、眠っていると思われていた乃梨子が不意に名前を呼んできた。
 いけない、起こさないように注意していたつもりだったが起こしてしまったか。
 乃梨子は一糸纏わぬ姿を布団で軽く隠しながら由乃と同じように体を起こしてきた。ちなみに、由乃も同じ姿である。
「起こしちゃったかな?」
「…少し寒くなっちゃって。」
「…そっか、ごめんね。」
 そう言いながら由乃は乃梨子をそっと抱きしめる。
 少し寒い空気に触れて冷えた体が、お互いの体温で温められていって心地良かった。
「…由乃さま、暖かい。」
「…うん。」
 それだけ交わすと、由乃は乃梨子を抱きしめたままゆっくりとベッドへと倒れこんだ。
 目が覚めてしまったとは言え、事が終わってからほんの二、三時間ぐらいしか眠っていない。
 疲れた体を休ませるには、これだけの睡眠では少々時間が足りなかった。
「もうちょっと寝てよ。朝までまだ結構あるし。」
「…はい…。」
 唇に触れる程度のキスをすると乃梨子は、すうっとまた眠りの世界へと落ちていった。
 …まあ仕方がない。今晩は思わず少し激しくし過ぎてしまったのだから。
「…ごめんね…。」
 由乃は自分の胸の中で眠る乃梨子を見つめながら、申し訳無さそうにそう呟いた。
 一つは、少し激しくし過ぎたこと。

 …もう一つは、自分の気持ちが曖昧なのに、こんなことをしてしまう間柄になってしまった事への罪悪感。
 由乃は乃梨子を抱きしめたまま月に目を向けて、乃梨子と付き合いだすようになった経緯を思い出した…。



 ―――時は三ヶ月前。
 その日、ホームルームが長引いたため由乃はいつもより遅く薔薇の館に向かっていた。
 初めは祐巳も一緒に向かっていたのだが、薔薇の館の直前で忘れ物を思い出し教室へ戻っていってしまった。
 残された由乃は一人で薔薇の館へ到着し、そのまま会議室へと行こうとドアノブへと手を掛けた。
 だが、開けようと力を入れ掛けた時に部屋の中から何かの話し声が耳に入ってきた。
 別にいつもの話し声なら打ち合わせか何かだろうと思うだろう。
 だが、その声はいつもの打ち合わせとかのトーンではない、どことなく妖しい雰囲気である。
 由乃はその声を聞き取ろうと、息を殺して耳を扉に押し当てた。
 扉の影響で若干霞んで聞こえるが、どうにか聞き取ることは可能でありその会話が徐々に耳に入ってきた。
『…ちょっと、令…誰か来たらどうするのよ…。』
『大丈夫だよ祥子。それに最近勉強が忙しくてキスもしてないからさ、それぐらい良いでしょ?』
『…もう…甘えん坊なんだから…。』

「…何…今の会話…。」
 扉からよろよろと離れて、さっきの会話を頭の中で反芻する。
 令…祥子…最近…キスもしてない…甘えん坊…
 さっきの会話の中から聞こえた数々のキーワードが頭の中を駆け巡り、それ等から嫌な想像が湧き上がってくる。
 由乃は震える手に無理矢理力を入れて、それが杞憂で終わるように願いながら扉を開けた。

「よっ、由乃!?」
「由乃ちゃん!?」
 しかし、現実は限りなく残酷だった。
 扉を開けてまず入ってきた光景は、令と祥子が抱き合ってキスをしている場面。
 ある意味一番予想できて、そして一番外れて欲しいと思っていた場面でもあった。
 由乃が出てきてすぐに二人は離れたが、とき既に遅し。
 そのシーンを見せ付けられた由乃は茫然自失といった感じで、入り口から動こうとしない。
 いや、動けないと言ったほうが適切であろうか。
「…令ちゃん…これって…これってどういう事なのよ…。」
 全身から血の気と力が抜けていくのを感じながら、由乃はそう呟いた。
 蜜月の現場を見られた二人は居心地悪そうにして由乃と目を合わそうとしない。
「どういうことかって聞いてるのよ!! 何か言いなさいよ!!」
 そんな二人の態度が癪に触れたのか、とうとう由乃は大声を上げて二人に噛み付いた。
 紅薔薇さまである祥子も、今度ばかりは自分に非があるのでその声に思わず怯んでしまった。
「よ、由乃ちゃん、これは、その…。」
「これはなんなのよ! はっきり言いなさいよ!」
「…分かったよ由乃。説明するからひとまず落ち着いて。」
 まだ落ち着きを取り戻せてない祥子に代わって、令が説明するために由乃を落ち着かせた。
 気を荒げていた由乃だったが、令にたしなめられて少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「…分かったわよ…。」
 やがて、渋々ながらも由乃は落ち着きを取り戻した。
 それを確認し、令が祥子と一度アイコンタクトを取ると再び口を開く。
「…さっき見て感付いてるかもしれないけど、私と祥子は付き合ってるんだ。」
「っ……!!」
 それを聞いて、由乃の体がビクンと身震いした。
 予想できていたとは言え、改めてこうやって事実を突きつけられるとやはりショックである。
「…今まで黙ってたのは悪かったと思うよ。でも、いずれ話すつもりだったんだ。」
「…何で…。」
「え…?」
「何で私じゃなくて祥子さまなのよ! 私のこと世界で一番好きだって言ってくれたじゃない!! あれは嘘だったの!?」
 さっきまで落ち着いていた由乃だったが、事を理解するともう一度怒りの炎が心の中に湧き上がって来た。
 涙を流し、令の胸倉を掴み上げん勢いで食って掛かる。令は胸を締め付けられるような思いになったが、冷静さを崩そうとはしない。
「…嘘じゃないよ。確かに、由乃のことも世界で一番好きというのに変わりはない。」
「じゃあ、じゃあ何で祥子さまなんかと付き合ってるのよ!」
 さり気無く『なんか』呼ばわりされた祥子は少しムッときて由乃を睨みつける。
 しかし、由乃から『何よ、何か文句あるのこの泥棒ネコ!』とでも言いたげに睨み返されて思わず目を背けてしまった。
 今の由乃はどの薔薇さまをも完全に超えていた。
「…由乃の好きと祥子の好きは違うんだ。祥子は恋人として好き…由乃は可愛い、実の妹みたいとしての好きなんだ。…分かってくれるよね。」
「…分かんない…ぜんっぜん分かんない!!」
 頭では分かるが、心がそれを許さない。認めてしまえば、心の中の何かが欠落していってしまいそうだ。
「…お願いだから分かってよ…。これからも、由乃と変わらず接していくから…。」
「冗談じゃないわよ! …分かった…。あれでしょ、どうせ祥子さまの財産に目がくらんだだけなんでしょ!?」
「っ…! 由乃!!」
「ひっ…!」
 聞き分けの無い由乃の発言で頭に血が上り、頬を引っ叩こうと思わず手を振り上げた。
 だがそれを見て由乃はそれが振り下ろされるよりも前に令から一歩離れた。
 令も何とか手を振り上げるだけにとどまり、その手をそのまま下に下ろす。
 しかし、それだけでも限界間近だった由乃の心を打ち砕くには十分過ぎるほどの決定打になった。
「…ごめん、つい…。」
「…バカ…!」
「…え…?」
「バカバカバカバカバカぁ!! 令ちゃんの超大バカぁ!! 祥子さまもみーんなバカぁーー!!」
「あっ! よ、由乃!」
 大声で泣き叫びながら、由乃は会議室を飛び出してしまった。
 その際、遅れてきた祐巳とぶつかったが由乃は勢いを殺すことなく走り続けていった。
「…令…これでよかったの…?」
「…いつかは言わなきゃいけなかったんだ…仕方ないよ…。」
 令は目をキュッと瞑って、天井を仰ぎながら祥子にそう言った。
 …いや、もしかしたら自分にそう言い聞かせているのかも知れない…。


「…うぅっ…令ちゃんのバカぁ…!」
 薔薇の館を飛び出して、由乃が行き着いた先は無人の温室。
 その中で一人、由乃は令に愚痴と涙を零しながら泣き続けていた。

 思い返してみると、確かに自分は令から「好きだよ」と言われたことはあるが「愛してる」と言われたことは一回もなかった。
 でもそれは、今更自分達の気持ちを確かめ合う必要が無いくらいに愛し合っていたからだと、そう信じていた。
 しかし、現実は違った。言ってみれば、自分がただ単に勘違いをしていただけである。
 …冷静に考えてみれば、令は何一つとして由乃に悪い事をしていない。しかし、それでも由乃は令と祥子が悔しくて仕方がなかった。

「…それじゃ…私がまるで、バカみたいじゃない…!」
「…誰かいるんですか?」
 由乃しかいないはずの温室に、不意に由乃以外の声が響き渡る。
 その声の方を見ると、乃梨子が温室の入り口に立っているのが目に入った。
 由乃は泣いているのをばれないように乃梨子に背を向けて涙を拭うと、無理矢理笑顔を作って由乃に向き直る。
「乃梨子ちゃん、どうしたの?」
「…いえ…何となく立ち寄っただけです…。」
「ふうん…ま、そんなとこに突っ立ってないで、こっちきて座んなさい。」
 隣に置いてある植木鉢をどかすと、由乃はこっちこっちと手招きする。乃梨子も、それに促されるようにして由乃の隣に腰掛けた。
 しかし乃梨子からは元気さが微塵も感じられず、由乃の方を見もせずにずっと下を向いたままだ。
「…乃梨子ちゃん、どうしたの? 元気ないじゃん。」
 元気が無いのは自分にも言えた事なのだが、仮にも年上である自分が後輩を差し置いて落ち込んでいるわけにもいかないだろう。
 由乃はそう思って、自分の事よりも先に乃梨子のことを構うことにした。
 しかし、乃梨子からの反応はほとんど無い。
「どうしたのって。何でも相談に乗ってあげるよ。」
「…何でもありません…。」
「何でもないことない。見るからに落ち込んでるじゃない。」
「…ほんとに、何でもありませ…!」
 そこまで話すと乃梨子の目からポタリと涙が零れ落ち、それから堰を切ったように涙が溢れて止まらなくなってしまった。
 由乃もさすがに泣かれるとは思っていなかったので、どうすれば良いのか分からずにあたふたするしか出来ずにいた。
「ちょっ、ちょっと! 本当にどうしたの!?」
「と…瞳子に…!」
「…瞳子…? 瞳子ちゃんのこと?」
「…瞳子に…瞳子に、振られました…!!」
「ふ…振られただって!?」
 嗚咽を漏らしながら零したその言葉に、由乃は思わず聞き返してしまった。
 まさか、自分とほぼ同じ時に失恋をしてたなんて思いもしなかったのだから。
「さっき…さっき瞳子に告白したんです…! でも…瞳子はもう…!」
「もう…?」
「瞳子は…かっ…可南子と…付き合ってるって……!」
「…可南子ちゃん…? あの天敵だった?」
「でも…それは昔の話だって…! ずっと…ずっと想ってきたのに…そんなのって…! なんで…なんで…!!」
「………。」
 スカートを握り締め、流れる涙を拭うこともせずに悔しそうに、そして悲しそうに感情を吐き出していく。
 そんな乃梨子に、由乃はどう言葉を掛けてよいか分からず言葉に詰まってしまった。
 ついさっきの自分の姿と、乃梨子の姿がまるで全くと言って良いほど同じ状態だったのだから。
「…残念だけど…瞳子ちゃんのことは諦めよ…。」
「いい加減な事言わないで下さい! 由乃さまに、由乃さまに何が分かるんですか!!」
「分かるわよ!」
 ありきたりな台詞で慰めてきた由乃に、当然の如く乃梨子は涙を流したまま由乃に叫ぶように噛み付いてきた。
 その乃梨子に、由乃は思わず声を荒げて言い返す。
 それと同時に、由乃も抑えていた悲しみがもう一度湧き上がってきて両目から涙が溢れ出してきた。
 由乃が突然涙を流し始めたことに、乃梨子は驚いて思わず由乃を凝視してしまう。
「よ…由乃さま…?」
「私だって…私だって、乃梨子ちゃんと同じなのよ…!!」
「私と…同じ…?」
 そこまで聞いて、乃梨子もようやく由乃も自分も今同じ境遇に立たされているのだと言うことが理解できた。
「…だから…乃梨子ちゃんの気持ちは、痛いほど分かるよ…!」
「よ…由乃…さまぁ…!」
「…乃梨子…ちゃん…!」
 これ以上感情を抑え殺せなくなり、二人ともお互いに強く抱きしめあい大声を出して泣き始めた。
 同じ境遇に立たされたもの同士にしか分からない、深い悲しみを全て放出し合うように…。



「…あれから…付き合い始めたんだよね…。」
 お互いに大泣きし合った次の日から、一種の仲間意識みたいなものが芽生えて一緒に行動することが増えていった。
 それはある種、お互いの傷を舐め合っているのと同じようなものだったかもしれないけれど。
 そうやって一緒に行動していたある日…一ヶ月以上前に、由乃は乃梨子から告白された。
 最初は戸惑ったものの、それはまるであの時に失った心の光がもう一度差し込んできたように思えて首を縦に振ってしまった。

 乃梨子と恋人同士になってから、由乃も毎日が楽しく感じた。
 一緒にふざけ合ったり、どこかへ一緒に旅行をしたり、…そして、こうやって体を重ね合う事も…。
 でも最近、時々自分が本当に乃梨子を愛しているのか分からなく感じることがあった。
 何故かは分からないが、それは喉奥に引っ掛かった小魚の骨のように、いつまでもむずむずと不快感をもたらす。
 かと言って、乃梨子がどうでも良い存在になってしまった、と言うわけでは決してなくて今でも大切な存在である。
 乃梨子はクールだが明るくて機転がきくし、何よりも自分の事を真剣に愛してくれている。
 その笑顔を見る度、自分も幸せな気分になれるのだが…。

 そこまで考えた時、窓から差し込んでいた月明かりが消えてしまい部屋の中が真っ暗な闇に包まれた。
 それと同時に、由乃の思考も止まってしまった。枕もとの目覚まし時計を見てみれば時刻は既に三時半過ぎ。
 これ以上起きていては、明日に支障が出るだろう。
 別に学校があるわけではないが、乃梨子と出かける予定があるのであまり遅くまで寝ているわけにも行かない。
 これ以上考えても堂々巡りになるだけだと思って、由乃は乃梨子の体をもう一度確かめるようにギュッと抱きしめて目を閉じた。
「…見捨てたりしないよね…乃梨子ちゃん…。」
 もう、あんな体験はしたくない…そんな思いが口から零れたが、眠りに落ちている乃梨子には届かず部屋に響いただけだった…。



「由乃さん。あなた、確か乃梨子と付き合ってるわよね?」
 休み明けの放課後、由乃は薔薇の館へ行こうと銀杏並木を歩いていたら志摩子に呼び止められた。
 それから二人一緒に薔薇の館へと向かっているのだが、志摩子は呼び止めたものの由乃にあまり話しかけようとしない。
 やがて、由乃がお互いに喋らないのも居心地が悪いので話そうかと口を開いた時に、志摩子が先に口を開いた。
 そして出てきた言葉が、先ほどの内容である。
 突然口を開いて、しかもそんな分かりきっていることを聞いてくる志摩子に由乃は若干狼狽してしまった。
 しかしその志摩子の表情は真剣で、とりあえずの話題でこの事を出したわけではないことはしっかりと伝わってくる。
 志摩子は、この事を話したくて由乃を呼び止めたのだろう。
「そうだけど…どうしたの、今更そんなこと聞いてくるなんて。」
「いえ…最近ちょっと思うことがあって…。」
「思うこと?」
「ええ。」
 志摩子はそこまで言うと一旦足を止めて由乃の方を向いた。由乃もそれにならって足を止め志摩子と向き合う。
「由乃さんは、乃梨子の事を心から愛してる?」
「…は?」
 いきなりそんなことを聞かれて由乃は一瞬呆気に取られてしまった。
 なぜさっきから、こんな事を聞いてくるのか、由乃には今一つ志摩子の意図が読み取れなかった。
「…あ、うん。愛してるよ。」
 数秒間の間が開いてから、由乃は返事を返す。
 半分は事実で、半分は疑問の最中なのだが正直に言うと志摩子に何をされるか分からないのでこう答えた。
「…本当にそう? なら良いけど…。」
「志摩子さん、さっきからどうしたの? 言いたいことがあるならはっきり言ってよ。」
 若干疑いの気がある志摩子の反応に、由乃は少しムッとしてトゲを含んだ言い様で問いただす。
 志摩子は由乃からそう言われて少し手をフルフルと振って「ごめんなさい」と弁解した。
「志摩子さんは何か気になる事があるって言ってたけど…何なの?」
「いえ…実は、最近ふと思ったんだけど…。」
「うん?」
「由乃さんは、令さまの代わりとして乃梨子と付き合ってるんじゃないか…って、感じることがあったの。」
「…令ちゃんの…代わり…?」
 志摩子にそう言われて、由乃はハッとした。
 最近乃梨子に対する愛が純粋なものに感じられなくなったのは、心のどこかで乃梨子を令の代用品として見ていたからではないか…。
 そんな考えが、頭の中をループしていく。
「…気を悪くさせたかも知れないけど、姉として乃梨子のことが心配だから…。」
「…大丈夫だよ、志摩子さん。そんなふうに思ったこと、今までなかったから。」
 なかったから。
 確かに、今まではなかった。いや、気が付いていなかった、と言った方が適切かもしれない。
 しかし、先の志摩子の台詞が頭に焼きつき、それが嫌な可能性を突きつけていく。
 由乃はそんな考えを志摩子に悟られないように、笑顔を作ってから返事を返した。
 それを見て、志摩子も安心したのかやっといつもの笑顔になった。
「それなら安心ね。じゃあ、これからも乃梨子の事を頼んだわよ。」
「うん。任せてよ。」
 自分の胸を叩いてそう言った言葉は、胸焼けのような感触を残して口から出て行った。
 志摩子はそれだけ聞くと止めていた足を進めてもう一度歩き出し、由乃もその一歩後ろを付いていく様に歩き始めた。
 …いや、後ろの方を付いていくようにしか、歩いていくことは出来なかった。
 志摩子の顔を、まともに見ることが出来なかったのだから…。



(『令さまの代わりとして乃梨子と付き合ってるんじゃないか』…か…。)
 その晩、由乃はベッドから窓の外を見上げたまま志摩子からの言葉を思い返していた。
 先日まではしっかり見えていた月も、今は雲に隠れていて姿を確認できない。
 あの時の志摩子の言葉は夜になってもしっかりと消化されず、未だに心の中にずっとモヤモヤと残っている。
 冷静に思い返してみて、今まで乃梨子を令の代わりとして見たことはあっただろうか。
 YESかと言われたらYESでもあり、NOかと言われたらNOでもあるような…正直、なんとも言えなかった。
「…どうなんだろ…実際…。」
 その疑問がトゲのように心に引っ掛かって頭の中を駆け巡る。
 既に令のへの未練は断ち切ったと思っていたのだが、その想いは意外と根深く残っているようである。
 だが、自分は乃梨子を手放したくないし、逆に乃梨子から見捨てられたら、と思うと怖くてしょうがない。
 あんな思い、もう二度と味わいたくなかった。

 と、そこまで考えた時、乃梨子がタオルで頭を拭きながら部屋に入ってきた。
 由乃は一旦考えるのを止めて、乃梨子の方へと向き直る。
「お湯加減、どうだった?」
「ちょうど良かったです。ありがとうございました。」
 笑顔でそう言いながら、由乃の隣にそっと腰掛けた。
 普段は週末に泊まりに来ることが多いのだが、今晩は菫子が友人と一泊の旅行に行っているため由乃家にお世話になっている。
 まだ湿っている乃梨子の髪から、シャンプーの香りが漂ってきて由乃の鼻腔をくすぐった。
(…やっぱり、可愛いな…。)
 自分の髪をタオルで拭く乃梨子を見て、由乃は改めて乃梨子の可愛さを認識する。
 艶のある黒髪、日本人形を思わせる髪型、大人びてるとは言え、まだ幼さが残るその顔つき…その一つ一つが愛しく感じる。
 じっと乃梨子を見ているとその視線に気が付いたのか、手を止めて由乃のほうへ振り向いた。
「どうしたんですか、由乃さま。」
「ん…綺麗な髪だなーって、思ってね。」
「そうですか? 私は、由乃さまの髪のほうが好きですけど…。」
 乃梨子はそう言いながら、由乃の纏めていない髪を少し手にとってそれを鼻に近づけていく。
 近づけた髪から、乃梨子と同じシャンプーの香りが鼻の中に広がっていった。
「長くてサラサラですし、ほんのりと茶色で…私は真っ黒だから、由乃さまの髪が羨ましいです。」
「…可愛いこと言ってくれるじゃない、このっ。」
「わっ!」
 可愛い事を言う乃梨子に、由乃は軽くタックルするように乃梨子に抱き付いた。
 乃梨子は不意を突かれて、その勢いを止められずにそのまま由乃にベッドへと押し倒される形になる。
「ちょっと、いきなり何するんですかぁ!」
 少し怒ったように言うものの、その表情は明らかに笑っている。
「乃梨子ちゃんが可愛いこと言うからいけないんだって。」
 由乃は乃梨子に覆いかぶさったままの体勢で、意地の悪い笑みを浮かべながら乃梨子の頬をチョン、と突付く。
 突付かれた乃梨子は「しょうがないなぁ」とでも言いたげに苦笑いを浮かべた。
「………。」
「………。」
 その体勢のままでお互いに見詰め合い、やがて乃梨子が目を閉じた。いわゆる、由乃からのキスを待つ状態。
 由乃はそれに応え、いつものように乃梨子の唇に自分の唇を近づけていこうとした。が…。
(『令さまの代わりとして乃梨子と付き合ってるんじゃないかって…』…。)
「………。」
「…由乃、さま?」
 お互いの唇の距離があと数ミリ、というところで由乃は乃梨子から顔を遠ざけてそのまま乃梨子から離れた。
 乃梨子は唇に期待していた感触が来ないのと、掛かっていた重圧が離れたのを感じて体を起こす。
「…ねえ、乃梨子ちゃん。」
「はい?」
 さっきまでの茶化した雰囲気ではなく、真剣な表情で由乃は口を開いた。
 突然変わった由乃の雰囲気に、乃梨子は少し戸惑いつつも姿勢を正す。
「…ちょっと、失礼なことだとは思うんだけどさ…。」
「どうしたんですか? 急に改まって。」
「…あのさ、私を瞳子ちゃんの代わりとしてみたことって、ある?」
「…は…? 何でそんなことを聞くんですか?」
 由乃は放課後に志摩子から言われたことと同じ質問を乃梨子に聞いてみた。
 その突拍子も無い質問に、思わず乃梨子の口から意味を解せないといった感じの返事が返ってくる。
「いや、深い意味は無いんだけど…今日、志摩子さんに言われたんだ。」
「志摩子さんに?」
「そう。『由乃さんは、令さまの代わりとして乃梨子と付き合ってるんじゃないか』…って。」
「…それで、どう答えたんですか…?」
 由乃は少し、不安げに聞いてくる乃梨子に、若干心を締め付けられながらもしっかりと見つめて口を開いた。
 嘘か真か曖昧なままに答えた、あの言葉を。
「愛してるって、令ちゃんの代わりとしては見てないって…そう言ったよ。」
 それを聞いて乃梨子の顔から不安の色が消え、幸せそうにニコッ、と微笑んだ。
 由乃もつられて、少し微笑む。その目がしっかりと笑えていたかどうか、少し不安だったけども。
「…それで、乃梨子ちゃんはどうなの?」
「…私、ですか…?」
 話を振られた乃梨子は押し黙り、由乃の隣に寄り添うように位置と体勢を変えると少し俯いた。
 その顔には、心なしか少し影が見えるようである。
「…少し、気を悪くしてしまうかもしれませんけど…。」
 そう前置きして、乃梨子は話し始めた。
「…正直、最初の頃は瞳子の代わりとしてみたこともありました。」
「…そう、なんだ。」
 特に動揺した様でもなく、由乃は冷静に返した。
 ある意味、予想できた答えだったから。
「由乃さまと瞳子は、どこか似ていたから…。」
「…令ちゃんからも、そう言われたことあるよ。」
 苦笑いを浮かべながらそう言った。
 いつだったか、由乃は令に『由乃と瞳子ちゃんは本質的に似てるよね』と言われたことがある。
 特にそう意識したわけでも無いが、付き合いの長い令がそう言ったのだからあながち間違っていないのだろう。
 そう考えれば、乃梨子が由乃を瞳子の代わりとして付き合っていた、と言うのも頷けない考えではなかった。
「…でも、今は違います。」
「…そうなの?」
 乃梨子は由乃の方を振り向いて、真剣な表情でそう言い切った。
 その瞳には、嘘をついているような感情は一切含まれていない。
「由乃さまには、瞳子にはない魅力が溢れている…そのことに気が付いたんです。」
「…瞳子ちゃんには無い魅力…かぁ。ちょっと自分じゃ分かんないや。」
「由乃さまには分からなくても、私には分かるんです。
…今は瞳子の代わりとしてなんて見ていませんし、今は、島津由乃という人物そのものを…愛してます。」
「…乃梨子ちゃん…。」
 真っ直ぐに見つめられながら言われたその台詞に、由乃は目頭が熱くなってきた。
 自分のほどけかけていた曖昧な感情が、まるでもう一度二条乃梨子という糸に結ばれていくような、そんな感覚が心を満たす。
 迷っていた心に光が差し込んできて、やっと答えを導き出すことが出来た。
 …やっぱり、自分も乃梨子を愛している。
 それは決して令の代わりだとか、心の穴を埋めるためだけだとか、そんないい加減なものではない、純粋な…愛。
「…疑うかもしれませんが、由乃さまを愛していること…それだけは、本当です。」
「疑わないよ…私も、乃梨子ちゃんを愛してる。…令ちゃんの代わりとしてじゃなくて…乃梨子ちゃんとして、愛してる…。」
 あふれ出す気持ちを押さえきれずに、由乃は乃梨子をギュッと抱きしめた。
 この気持ちも、愛も、乃梨子そのものも何一つこぼさないように。

「…満月だ…。」
 抱きしめられたままの乃梨子が、窓の外を見上げてそう呟いた。
 見てみると、さっきまで雲に隠れていた満月が、明るく夜空に浮かんでいた。
 まるで自分の心にかかっていた雲が取り払われたように、美しく、そして神秘的に光っている。
「…電気、消してみよっか。そっちのが綺麗かもよ。」
「…そうですね。」
 由乃は部屋の明かりを消すと、真っ暗な部屋の中に降り注ぐ月明かりを頼りに乃梨子の元まで戻ってきた。
 うん、やはりこっちの方がより神秘的だ。
「…綺麗…。」
「うん…。」
 乃梨子は月明かりに照らされながら、瞬きをする事も惜しんでその月に魅入られていた。
 由乃はそのままもう一度乃梨子を抱きしめると、頬にそっとキスをした。
 それに反応して、乃梨子はくすぐったそうに、それでいて幸せそうな笑顔で振り返る。
「…大好きだよ…。」
「…私もです。由乃さま…。」
 今度は乃梨子から、由乃の唇に自分の唇を重ねる。
 そのやわらかい感触を感じながら、由乃は心に誓った。

 もう迷わない。この温もりを絶対に、絶対に失わない。
 何があっても、心を乱されたりはしない…絶対に。

 満月の月明かりが降り注ぐ部屋の中で、そう心に誓った。
 愛しているのはやはり、二条乃梨子という人物そのものなんだとしっかりと確認できたのだから。

あとがき:

私が今までSSを読んできた限り、見たことのなかった由乃×乃梨子にチャレンジしてみました。
…はっきり言って、滅茶苦茶難しかったです。
原作でもあまり絡みが無い二人だけに、どうやって違和感無く恋人同士にさせるかが大変でした。
まあ、これでも粗を探せば違和感出まくりな気がしますけど…。

とりあえず、これがカンフル剤となって少しでも他のサイトでの由乃梨SSが増えたらちょっと嬉しいですw(おこがましい)
最後に、令×由乃派の方、ごめんなさい(土下座)

SSモデル曲:moon face(スネオヘアー)
2style.net