2011 0715 KESENNUMA


七月、晴れた日、気仙沼。 空は高くに、青くて遠い。 鉄の腐る臭い。 くりぬかれたように空洞になった街。 砂利を敷いただけの道路。唐突に現れる漁船。 蝉も鳴かぬほど静かな、錆色たち。 二月前に、大船渡へ行ったときとは、違う衝撃を受けた。 何一つ片付いていない。 砂利が敷かれ、泥が僅かに退いた程度か。 そこかしこに鈍い色のぬかるみが残りながら。 高まる気温に、腐敗臭が強くした。風が通らず、篭る熱と臭気。 壊れた街。 姉は車から降りることが出来なかった。 街を離れてからやっと嗚咽が聞こえてきて、 それに皆ほっとした。静か過ぎたから。 泣き声にさえ安堵するほど。 濁ったままの川に花を手向けた。 本来そこにあるはずのない舟、しかし水上に浮かぶだけまだましか。 川の向こうと、こちら側とのはるかな違い。 それを住人はどう受けたらよいのだろう。 季節はすっかり変わった。 コンビニの募金箱はまだ「被災地支援」の文字。 赤い羽根は?あしなが募金は? それらを享受していた団体への募金がそのままスライドするなら、 結果的にわたしたちは生かすものを選んでいることになってしまう。 街頭で呼びかける募金団体がもうほとんどいない。 郵便局で義援金を振り込む人を見なくなった。 放射線は?牛肉は解禁。 わたしは何かを批判したいだけではない。 生活に戻ることは必要だ。 戻れる人から、生活に戻り、日々を取り戻すべきだ。 不公平はある。運もある。 天災を憎むしかない。憎んでも詮無い。でもほかにない。 おそらくほとんど全ての人が、忘れるべきでないことを知っている。 痛みは個々に刻まれたのだ。 忘れるべきではないが、生活をしなくてはならない。 その狭間で悩む必要はない。 あなたたちは、いつもどおりに、愛すべきものを愛していていいのだ。 生活に戻ることは、 地震をなかったことにすることではない。ぜんぜんそうじゃない。 地震のあとにある生活に、多少の支援が含まれている。 そうであるはずだ。そうでなければならない。 わたしたちの生活のすべてに、僅かずつでも 支援すること、が組み込まれたように思う。 忘れてはいけない、というよりも、忘れられるわけがないのだ。 壊れたままの街がある。 そうして、かなしいことに、ある部分は、いまでも、壊れ続けている。 そのことだけは、知っておかねばなるまい。
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