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chi-chi blog



2013/8/03

心電図をとって、採血をして、けっきょく、安定剤を出された。
(なにか変化がおこったらまたきてください)。

なにか変化がおこったら。
あらゆる眩暈、動悸、震駭
(なにか変化がおこったら)

ビルのなかから見る街は、きょうも昼がきて濁っている。

2013/3/30

想像していなかったけど、声が消えはじめています。
淋しい、淋しいことです。
わたしはこの変化をどのように捉えるべきかわからない。
わたしにはこの変化が必要だと思えない。
わたしはもういないのかもしれない。


2013/3/23

無価値性 ここでいう無価値は価値が存在しないこと
 
     反価値とは区別する
どう生きたらよいか?そもそも生きるべきであるのか?
    ↓      →「生きる」ということはそもそも本人に決められる事柄ではない(もともとはじめからあるものとして≒世界→存在の問題)
「もっと良く生きる」欲求
良く生きるとは
・状態 →幸福 不幸 (感情に左右されないそのもののあるべき状態)
 生きること コミュニケーションの問題
        時間の問題
時間が存在であるなら
存在は「時間」であるのか?
コミュニケーション→存在→時間→コミュニケーション
(メビウスの輪)
コミュニケーションから
それは「時間の重なり」
主体的、他動的にかかわらず起 こる物事
世界はそもそものはじめから美しく
互いに影響しあうようにできている
→接する・接しないという以前 あるということの影響
ある ということが大前提
ある ということがあるので なく なったときにも影響が
これが影響しあうという
すべてみな物事の撃鉄である
物事は終わり続けている
物事は始まり続けている
普遍について → 時間の問題
「同じ」ということはどういうことなのか?あり得るのか?
意味について
意味の中立性
意味をさだめることの無意味さ→コミュニケーションの問題
齟齬 の問題
意味の 齟齬 時間の齟齬
無意味さの尊さ
無価値さの尊さ
無価値 あるいは ただそこにあるということ
あるいは 無い ということ
はじめから 無い ものは
無い
ある ようにも ならない
その素晴らしさ
 

2013/2/2

時間がすべりおちていく。
もうここまで来てしまった のか、
まだここにずっといる のか、
相変わらずわからないまま。

もうここまで来てしまったのか?
まだここにいるのか?

住む場所がかわった。
仕事がかわった。
あたらしい仕事場は19階、
あたらしい家はまえの家よりもひと部屋多い。

はやくそのすべてが終るといいのに、と思います。
終るといい、そして、それはやすらかな絶望だ。
そうだった、わたしの絶望と希望は、
ほとんど同じ場所にいて、
すべての先には安寧である死がある。
それはただそこにあり、わたしは知っている、
あるということの無意味さと、無価値さと、尊さ。

あたらしいやり方で、さまざまの春を味わう今年。


2012/10/31

八年が経ちました。
八年。
それが長いのか短いのかわからない。というのだけ、
去年とはっきりと同じ気持ちだ。
どこまでいってもおなじなのかもしれない。
けれど、わたしを支配しているものはもうすでに、
あきらめだけではなくなってしまった。

困惑している。おろおろしている。
でもそれだって、ちょうど一年前と同じかもしれない。

八年が経ちました。
生きています。死にたいなと思ったり、ためしてみたりしても、
やっぱりどうやっても八年前の淵まではゆけず、
それが、
恐ろしいような、恥ずかしいような、
悔やむような、誇るような、
そしてやはりあきらめるような。
八年。
それでも、切っても切っても、
わたし以外には、一度も、なれなくてここにいる。

2012/10/03

十月は注意深く過ごさなければならない。
涼しくなるし、過ごしやすい季節だけど、十月は注意深く過ごさなければならない。
なにかあるのは(するのは)いつも十月だった。どれだけ注意深くいたとしても。

短い期間、混乱と、分裂と、それからそれ以外のすべてのなかにいて、くたくただ。
窓をみがいているときは少し安心だった。
窓を磨きつづけるわたしを見ると、夫はすこし心配そうにしている。
脅迫的な性質がこれから変わるとも思えないんだから、あきらめればいいのに。


2012/09/20

いちおう、いまのところ手遅れになったことはないのでよかったな。
ちょっとびっくりするくらい、九月は速い。
何をしていたんだか思い出せないのに二十日。

夫が、パスタがいいなと言うので、
しあわせな気持でにんにくを刻んでいた。
それで、ちょっと座って、指の匂いに気持が悪くなって、
トイレにいったら生理が来ていて、おなかも痛いし、
洗濯物はよく乾いたし、
いったいなんなんだろうって思う。

うれしくなったり、笑ったり、ものすごい万能感を感じたり、
でも、切り落とすみたいにしか時間を感じられないし、
電車は、走ったり止まったりするし、
住む場所がどんどんかわるし、女の子たちは妊娠していくし、
わたしは、いったいなんなんだろう。
なんで、どうしても、いつも、死にたいなあと思っているんだろう。
文章をよみかえしてみても、
いつから具合がわるいのか、
いつから死にたいのか、
いつからわからなくなってしまったのか、もうなんにもわからない。

2012/09/01

九月。わたしの生活は概ね穏やか。
髪が伸びた私に、夫が簪を買ってくれた。

生活の外のほうは、めずらしくごたごたしている。
自分のことも、友人のことも。
どれも今やらなくては、手遅れになりそうで、
それでいてどこから手をつけてよいのかがわからない。


2012/08/30

起きれば、汗をかいたシャツを洗っているか、家のどこかを必死にみがいている。
そうでなければ、出かけて、大人のような顔をしている。
あたらしい部屋からはむかいの建物の給水塔が見える。
そこへどうかしててっぺんに月がまるく刺さったりするのを見ればうれしい。
そんなようにして八月が終る。

許されたいけど、許されるわけはないなと思った。
きのうの夜が最悪だった。朝がきて、昼は眠り、いまは夕方で、すこしまし。
からだが木偶になったみたいににぶく、にくたらしい。

2012/08/15

お盆休み。水族館へつれていってもらい、懐石付の宿に泊まる。
お盆って、遠出した思い出がないから、こんなに人にあふれるのだと驚いた。

水族館は、いるかの跳ねるさまと、くらげの展示がとくにたのしかった。
あしかのショーもみたが、そんなには面白くなかった。
あしかの水に濡れた皮膚が、おどろくほどすべらかだったのは良い発見だったけど。

たぶんわたしは今、また、物事を理解する過程にいる。
それは苦しいもので、けれどもどこへも逃げることはできない。
わたしはこの苦しみを、じっと、味わいつくすしかないのだということを知っている。
そして、味わい終えたあとには、すべて忘れてしまうだろう。
ある種の物事は、そのようにしてしか理解できない。
完全に忘れてしまうことでしか、征服できない。

2012/08/10

いまだに、どうしようもなくなりながら、それでもやっている。
生きていること。

世界はいつまで待っていてくれるかしら。

2012/0716

海の日。
海の日で思い出すのは二年まえのこと。
夫(そのころはまだ恋人どうしだった)と、かんたんな旅行をした。
レンタカー、砂浜、高速道路。去年のことは覚えていない。

今年は、両親と夫とで長野の高原へいってきた。
クローバーがびっしりと生えひろがるそこは冬にはゲレンデになるのだという。
気取ったかんじのないレストランで食べた、アスパラのつめたいスープがよかった。

もうそれでも(どんなに幸福でも)行き止まりだとしか思えなくて、
昔っからそうだった、未来の展望なんて、せいぜいひと月がやっとだった。
初潮が来れば、18を越えれば、成人すれば、社会人になれば、結婚すれば、
「環境が変れば落ち着きますよ」。
次は何?子どもができれば?
引越しが片付いたら不妊検査へ行かなければならない。

2012/0703

七月に入ってしまった。
そこらじゅうに夏が蔓延り、おろおろしてしまう。季節がやってきたのだ。

六月のまん中に、都内で結婚式を挙げた。
清潔で、厳かなかんじのする、けして派手ではない披露宴。
お色直しを一度だけした。髪の毛に花を編みこんでもらった。

半月が経ち、いまは引越しの準備をしている。
次へ行く場所はまだ決定はしていないが、
おそらくまた関東へもどることになるだろう。
式を終えてから、夫のやさしさがすこし変化したように感じる。
慈しみみたいなものを感じるのだ。家族の情なのだなとおもう。
これがイニシエーションのもたらす変化か。

根無し草になっちゃったのね、と、まだ見たことのないわたしが言う。


(log)
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2011/0715 気仙沼、快晴


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